自分が弱い人間だと認めよう

自分の気持ちがざわつくことがある
日々の生活の中で何か不都合なことが起きないように意識をして気をつけているにもかかわらず、小さな失敗や大きな失敗を繰り返す。
なんとか失敗をしないように生きようとしているにもかかわらず、やはり失敗を繰り返す。
その度ごとに心がざわつくのである。
そしてどこかで自分に自信を失ってしまう。
あ、また自分は気持ちがざわついている。
そのざわつきに気づくのだ。
そして何より自分の弱さにゾッとする。
年齢を重ねたにもかかわらず、小学生だったあの頃のみの精神状態を引きずっているように感じもする。
59年間、私は何をしてきたのか。
なぜ、何も成長していない部分を持っているのか。
成長しようと生きてきたのではなかったのか。
弱い、弱すぎる自分に自己嫌悪に陥るある。
それが私のざわつきである。
長い間繰り返している。
間違いなく、これからも繰り返すであろう。

繰り返したいわけではない。
私の遊びは心穏やかにざわつくことなく、日々を暮らしたいだけなのである。
そう望んできたにも関わらず、今でもその望みが叶っていない。

しかし、そんな自分を許そう。
自分が自分を許してあげるしかないのである。
私は自分に厳しすぎるのだろう。もっと自分が自分に優しくすることから始まるのではないか。

自分が自分に優しく接することが心のざわつきをなくす方法なのだ。

そのことに気づき始めていたにもかかわらず、心のざわつきを繰り返してきた。
本当の意味で自分に優しくするをことを理解していなかった。

自分に厳しいということは自分に対して課すべきことのハードルを高く、設定しているのだ。
あるべき自分の理想の姿を、私は高いところに置いているのだ。

なぜか。
理由は簡単である。そういう価値観で育てられたのである。
そしてその価値観をこの年までしっかりと守ってきたのである。子供の頃に身につけられた価値観は、私の無意識の中にしっかりと根付いている。
子供の幸せを望んだ親の価値観なのだ。
柔らかい頭を持つ子供時代に植え付けられた価値観は私の長い一生に影響を与える。
それは60年近く経とうとも無意識の中にしっかりと存在している。
子供の幸せを何より望んだであろう親が子供を苦しめる価値観を与えることがある。
当然、親の価値観が全て子供を幸せにするわけではない。親だって分からないのである。

やるべきことは、自分を苦しめる様々な価値観を認めて、さらに成長していくべきなのである。

自分の内面を認め、そこから成長する。
それだけ。
考えてみよう。
私だってどれほどいらない価値観を子供たちに植え付けてしまったか。もう今更取り返しがつかない。

子供達には自分の中の苦しみの原因をまっすぐと見つめ、素直に改善をしていってもらいたい。

私もそう生きていく。
ざわつく自分をしっかりと優しく見つめたい。
弱い自分であることもしっかりと受け止めたい。
その弱い自分を誰よりも自分が優しくしてあげよう。
私の中にある私を苦しめるたくさんの価値観を私は大声で笑って受け止める。
そう、生きる。

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