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「蝶」と「初音ミク」と楽曲「1000年生きてる」の共通性


 いよわさんの楽曲、「1000年生きてる」は創作者へのエールだと思います。長編小説を書くときはしょっちゅう聴いてますし、いつも創作のモチベーションにさせてもらってます。

 この記事をタップした人のなかに、「1000年生きてる」を聴いたことがない人はいないと思いますが、一応URLを貼っておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=3em-J9yYPAo

 今回の投稿では、「蝶」「初音ミク」を通して「1000年生きてる」を語りたいと思います。

 私の投稿した、「蝶と胡蝶の夢」で書きたかったのは、「蝶の一生」の定義です。

 「蝶と胡蝶の夢」のURLも貼っておきます。

https://note.com/modern_mole659/n/n57488facb514

 DNAは確かに一緒ですが、果たしてそれは同一個体と言えるのか。そんな問いと少し関連性のある問いがあります。

 「作品を後世で改変されたとしても、それがその作者の作品と言えるのか」という問いです。

 1000年前に作られて今もなお残っている作品として、「竹取物語」があります。つまるところ「かぐや姫」ですが、作者が書いたものから一言一句そのまま残ってるわけでもないでしょうし、「作品として現存する」という言葉の範囲によっては竹取物語は怪しいところも多いです。
 「1000年生きてる」の中にもこんな表現があります。
 「知らない偉い人が石に文字掘って祈って
気の狂った誰かがホワイトを塗りたくった」

 これは初音ミクにも関わってきます。

 初音ミクは10人いれば10人それぞれの初音ミクがいます。

 それはもちろん外見も含まれていますが、ボカロPが施す調教にもその一端があるように思います。

 たまにある、「こんなの初音ミクじゃない」という指摘は、主に外見に対する指摘ですが、なんだか蝶みたい。

 蝶のDNAは、初音ミクの声は、…作品に込められた願いは、何一つとして変わっていないけれど、同一であると判断できないことだってあります。

 そんな葛藤や矛盾を綺麗に丸めて飲み込ませてくれる言葉が、「1000年生きてる」の中にはあります。

 「生き汚く生きて 何かを創ったら あなたの気持ちが1000年生きられるかも」

 生きるのは作品ではなくその中の気持ちです。変化を許容した先に、見える世界があるかもしれない、と、最近小説を書いていてそう思いました。

そう、「あなたの気持ちに賭けてみたい」のです。

双村琴音

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