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逆説が理解できない高校生 2

 平成7年頃、俗に「学力崩壊」と言われる現象が起きていました。
 偏差値的には優秀とされる進学校の生徒さんでも、逆説・比喩などのレトリックが理解できなことが可視化されてきました。難しいのは、そのことを認識した時「逆切れ」的な反応を示すことです。
 未知への怯えによる思考停止とも言えます。

なぜ逆説が理解できないのか

 その要因の一つに、「思考が一方通行なこと」があると考えています。
 思考が循環しないのです。
 「既知と既知とを結びつけること」はできるのですが、「未知と既知とを結びつけること」ができない。「具体と抽象とを往復しながら考えること」ができない。「未来から逆算する発想」がない。数学で言えば「検算」ができない。
 「自分にとって都合のよい結論」を立証するために、「自分にとって都合のよい理由」だけを抜き出してくる。そのため、「事実から導かれた客観的結論」「客観的な因果関係」を提示すると逆切れする。
 この構造は、文化の剽窃とも重なる部分があると感じています。
 自分の主義主張と異なる意見に対する不寛容な態度、執拗な攻撃性にもつながると感じています。
 一方通行なんですね。
 だから、循環的な事象である「対話・探究」が求められているとも言えます。「おたがいさま」「三方良し」という循環型の人間関係も。

循環型思考への転換

 「システム思考」や「比較」の視点を重視しています。
 たくさんある課題から一つを選択する、課題の原因と考えられる要因を一つに決めるのではなく、すべてを結びつけて構造化する。具体的には、課題発見とその解決で、「課題発見」「課題の構造化」を重視するようにしています。
 とは言え、ここまでが大変です。
 まず、思考が一方通行の生徒さんが「比較」から導くのは優劣であり、劣の排除です。センター試験で、選択肢を「消去法」で選ぶように。ちなみに、消去法は時間がかかるわりには正解率が低いです。
 また、思考が一方通行の生徒さんほど、「解決のアイディア」にこだわります。提示する解決策を観察すると、それは「自分の主義・主張の提示」であることが多いです。解決策=結論が先なので、課題・事実が主観的にゆがめられていることが多いです。当然、解決策の有効性・効果性・実現可能性・再現性も低いです(たまにははまりますが)。
 この防止のため、「課題・事実」を優先すること意識しています。「解決→課題」という思考の方向性に対し、「課題→解決」を意識しています。

思考が一方通行であることがわかってから… 

 学校の先生への強い恨みを持ち、授業妨害や威圧行為を繰り返していた生徒さんの「気持ち、心情、存在、発言、行動」に共感することは難しかったです。今でも「共感」はできません。
 しかし、対教師暴力の背景にある「リアルとフィクションの混同」という現象が、「フィクションからリアルへの一方通行」であることに気づくことで、少し「理解」は進みました。
 「フィクションからリアルへの一方通行」という思考では、「男の子の酒・たばこは13歳からという地域の価値観(フィクション)」が、リアルになるのですね。ですから、この価値観(フィクション)を否定する存在は敵なんです。自分が信じる価値観(自分にとって都合の良い主義・主張)を否定する敵なのです。
 そう理解すると、対教師暴力を繰り返す生徒さんの思考や感情の動きが見えてきました。そういう生徒さんは、「悪を犯しているという自覚が希薄」です。客観的事実としては「対教師暴力」ですが、本人にとっては正義感であり、先生という権力・悪を成敗する勇気ある行為なんですね。ですから、学校内で発生する対教師暴力・いじめ・窃盗などの犯罪行為を、本人が「悪」として理解すること、「悪」として本人に理解させることは非常に困難です。これはもう、本人の「思考回路の問題」で、ある意味で本人の責任ではないこととも言えます。
 こういう状況に対し、「悪であることを理解させるために暴力的な指導を行う」が教育的手法として存在していたことは否定できません。
 しかし、こうした指導は、暴力がいけないという以前に、「論点がずれている」と言えるでしょう。その結果「新たな課題・論点」を作っていると言えます。

思考のトレーニングが必要

 巷では、「正解のない問い」という言葉が流行っています。
 私は、「正解を決めない問い」という言葉を使っています。それは、「思考のトレーニング」のためです。
 逆説・比喩の理解、思考の循環を進めるためには、トレーニングが必要です。トレーニング段階では失敗が前提です。その失敗に自分で気づいて修正することで、トレーニングの効果は高まると考えています。そのために、正解、もしくは明確な間違いというものは存在すると思うけど、それを最初からは決めない。いろいろ試してみて、あとから、相対的に成功・失敗、正解・間違いがわかればよいと考えています。
 探究学習には、そういう前提と要素とを取り入れています。それを円滑にするためにICTの活用がされていればよいとも考えています。
 ICTは、結果として効率化や学習の深化を導いてくれればよいです。最初から効率化…という目的だと、悪気のない悪用に進みそうです。それは「効率化という一方通行の思考」によってその活用がゆがめられるからです。

              つづく

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