添削者のスタンスはどうあるべきか? #小論文 #志望理由
小論文などの指導で、「指導」「添削」を辞めました。
そして「対話」を持ち込みました。
とはいえ、生徒さんが「書いてきたもの」についてのコメントは必要です。このコメントを「添削ではないもの」にするためにはどうしたらよいかという問題が残りました。
「添削者」という新しい立場・概念の模索です。
添削者って何だろう?
普段接している国語の先生とか、担任ではなく、匿名の存在であることですね。匿名の存在であることを意識すれば、「先入観なく文章を読むこと、評価すること」ができるような気がします。
となると、生徒さんも匿名であることが意識できるとよいでしょう。
つまり、「お互いに匿名の存在」であることが、自分の頭で考えること、客観的に考えることのスイッチになるようです。匿名性も「中動態」を導くものの一つなのかもしれません。
逆に言えば、先生と生徒という関係性が、お互いの「思考・主体性」を奪っているのかもしれません。
書き手が何に困っているのかを意識する
先入観に基づいた指摘は、「添削者のアリバイ」かもしれません。
また、消費者意識に目覚めた(?)生徒さんの中には、「ダメなところをきちんと指摘しない添削は手抜き」という人もいます。このあたりの意識が「共犯性」を帯びると、「その場の満足度は高い」のですが、「小論文が書けるようにはならない」ような気がします(個人の感想です)。
添削者としては、書き手が「何に困っているか」を意識しながら読むことを心がけていました。たとえば…
「段落構成をどのようにすればよいか、わからないくて困っている」
「見出しをどうすればよいか、わからなくて困っている」
「何を根拠としてよいか、わからなくて困っている」
「テーマとして○○を選んだが、自分が本当に考えていることと一致していなくて困っている」
「どういう順番で書けばよいか、わからなくて困っている」
などが読み取れます。
困っていることに添削者はどのように対応するか
「見出し」などであれば、本文で「例示」することがあります。
イメージを持ってもらうためです。
その他については、「こうしてはいかが」を書くと「指導」になってしまいます。さて、これをいかんせんですね。
そこで、書き手が「困っていると読み取れること」を可視化するようにしました。
「もう少し、説明の順番を工夫しましょう」
「最も深い考察を示す部分を、本論に置いてください」
「理由と結論とは読み取れます。もう少し掘り下げて、根拠と方法まで言及してください。」
「○○という課題に対し、本文には□□という解決策が明示されています。解決策があるのに、課題が解決されていない状況に対する疑問が今回のテーマ選択の動機ではないですか?」
「同じような例を調べ、比較することで問題点や特徴を明確にしてはいかがでしょう」
もちろん、ケースバイケースですが、これくらいの「距離感」を意識しました。
添削で大切なことは何か
書き手の思考に刺激を与え、問題を可視化し、自己解決へ導くことと考えています。
そのために、「匿名の存在であることの意識」「距離感」「書き手が困っていることの可視化」を添削の起点としています。
これは、「客観的事実・具体的事実を根拠」として考察するという小論文の基本の「き」と同じですね。添削者も、「書かれた文章を根拠として考察する」ということ。
そして、考察するのは、「書き手の成長」であり、その支援・伴走をするのが添削者ということのようです。
そんな風に考えを整理できてから、いろいろ楽になってきました。
内容は、「生徒さん同士の対話で導く」
添削は、「生徒さんが困っていることを可視化する」
従来的な先生の存在感を、どんどん手放し、自己を透明な存在にすることができてきました。
つづく