調和の時代
(一)誕生
今ようやく、母親の胎内から空の下に産まれ出た。
空気はひんやりしている。土は温かい。足をほぐして、よっつの蹄で立ち上がって、歩けるか、よろけて、でもなんとか踏ん張って、お母さんがじっと見守っている。ちょっとお母さんにすり寄って、お母さんが(大丈夫よ。)と言ってくれて、太陽が照っている、光の熱を感じて、さあ、もう歩けるぞ、草の香りがする、後で食べてみよう、今はもうちょっと歩いていよう。
ぼくはピュンと呼ばれている。お母さんはフォン、お父さんはヘン。お母さんのお腹の中にいるときから、そう呼び合っていた。
草の向うの建物の中から、二本足の、ヒトと言うのか、出て来て、何か音を出している。話しているんだ。「おお、ようやく産まれた。ミイ、よくやった。元気そうな仔馬じゃねえか。ミイ、ありがとうよ。」お母さんがミイと呼ばれている。お母さんの名前を知らないんだ。少しお母さんにさわったりしてから、建物のほうに戻って行った。
お父さんは、・・・あ、いたいた、ヒトを引っ張って歩いている、いや、土を引っ掻いている、(あれは土を耕しているのよ、作物を育てるために。)お母さんが教えてくれた。おもしろそうだな。(ピュンにはまだ無理よ。)かもしれない。
お父さんといっしょにいるヒト、一生懸命になっている、緊張している、もっとのんびりしてもいいのに、お母さんが教えてくれる。(ヒトはいつも緊張しているわ。緊張しているときは用心なさい。のんびりしているときは一緒にいて楽しいときもあるわ。)
ヒトというのは難しそうだ。
(二)夕食時
「今日、ミイが産んだ仔馬、元気そうでよかった。タンて名前はどうだ。」
「おじいちゃん、あした、タンと遊んでいい?」
「ミヨ、取っ組み合いなんかしちゃだめだぞ。生まれたばかりだからやさしく扱うんだぞ。」
「取っ組み合いなんかしないわよ。」
「お父さん、ようやく畑、耕し終わった。明日から畝作りを始める。昔使われていたトラクターやテーラーは手に入らないのかな。」
「ないことはないと思うが、あせらずにゆっくりしろよ。耕しすぎるなよ。」
「要らないという人から貰うしかないんだろ。買うにも今ではお金なんて誰も持っていないし。」
「機械よりも燃料が手に入らない。どこにもない。」
(三)時代
人々が貨幣を手放し、各国で第二民主主義革命(「創作2:お金が無くなる日」参照)が成立しはじめるまでの時代を、のちの歴史学者はその視点によりさまざまに表現している。統治形態から「民主主義の時代」と呼んだり、生産と消費の視点から「貨幣競争の時代」あるいは「マネーゲームの時代」と呼んだりする。人々の精神文化の視点からは「カオスの時代」と呼ばれることが多い。第二民主主義革命が成立してのちの時代は「人民主体の時代」あるいは「人間本位の時代」と呼ばれる。そして、「人間本位の時代」は、さらに時を経て、「調和の時代」に引き継がれていく。この「調和の時代」が、その後、長く続くことになる。
(四)ともだち
毎日、あちらこちら歩き回っている。ともだちもたくさんできた。ヒトのミヨがときどき寄ってきて、しばらく話してうるさくしたり、さわったり、一緒に歩いたりする。ぼくが走ると、「待ってよ」とか「おいていかないで」とか言いながら、追いかけてくる。ほかにも、となりの家にいるネコのファンおばさん、ヒトからは「チーチャン」とか呼ばれている。ときに不機嫌なこともあるけど、いつもは親切にあれこれ教えてくれる。危ない場所とか、食べてはいけない草とか、近づかないほうがいいヒトとか。あと川手前に住むウマのポーンおじさん。ずいぶん年寄りのようだ。奥さんがいたこともあったようだが、よく覚えていないという。それでも力はとても強い。大きな車も引っ張ってゆく。今はすこし寂しそうだ。森の手前でタヌキのトチおじさんに会った。ときに餌がとれなくて、お腹がすくそうだ。(森には入るな。)と言われた。ぼくには危ないところだそうだし、虫もいっぱいいていいことはなにもないそうだ。お父さんからも森に入ってはいけないといわれていたが、よくわからなかった。森の手前では他にサルの家族もみかけたが、声をかける暇もなかった。なにか急いでいるようだった。おいしいものをみつけたのかな。
(五)冷害と地震
「今年の夏はえらく寒いな。アキんとこの田んぼが全滅のようだ。」
「あの人は味にこだわってたからね。最近の品種で味はいいんだけれど、寒さには弱かったようね。」
「俺の田も六割がいいところだぞ。」
「それだけあればなんとかなるわよ。」
「うちはなんとかなるかもしれないが、よその地方のために援助米を集めにくるかもしれない。」
「荒畑にも作付け増やしたほうがよさそうね。」
「ちょっとだけ張り切ってみようか。」
「ちょっとだけにしなよ。いつまでも若くはないんだからね。」
(六)民主主義の時代
民主主義の時代は個人の権利が確立したとされる時代である。差別が撤廃され、個人の自由と平等が確立し、人々が平等にしあわせになれるはずの時代であった。しかし、実際は、力による政治社会から、貨幣による支配社会へ変化したにすぎなかった。力による政治社会の時代には、為政者の力量によっては「善政」を期待することができた。しかし、貨幣による支配社会の時代になると、勝者による収奪以外になにもなかった。法制度は勝者のために働いた。勝者として支配するものになるか、敗者として収奪され続けるものになるか、どちらかに属するしかなかったのである。
(七)断絶
ヒトってふしぎな生き物だ。なんにもわかっちゃいない。わかっていないだけならいいが、もっと悪いことに、しょっちゅう、がなりたてたり、不愉快でいたり、いやなことをしたり、傷つけたり。気がつかないのかな。ヒトによってかなり違う。機嫌のいいときは、気持ちよくしていることもある。
お父さんもお母さんも、最近はかなりマシになってきたと言っている。昔はもっとひどかったそうだ。ヒトは「お金」というものを使っていたらしい。「お金」が原因で、お互いに、傷つけあったり、ののしりあったり、悲しんだり、苦しんだりしていたらしい。そのとばっちりで、ぼくたちもずいぶんいやな目や、ひどい目にあってきたそうだ。
ずいぶん昔に、「お金」がなくなって、それからは争いごとがほとんどなくなったという。近くのヒトたちもずいぶんと穏やかになり、ウマやイヌやネコやウシやトリにもずいぶんと親切になったということだ。
ポーンおじさんは昔のことは思い出したくないと言う。
ファンおばさんは(生まれたころは、とんでもないところに生まれてきてしまった、と思った。)と言う。毎日不愉快なことだらけだったそうだ。今は(眺めていておもしろいと思うようになった。)らしい。
(八)マネーゲームの時代
民主主義の時代は同時にマネーゲームの時代であった。ゲームの参加者は地上の住民すべてであり、参加を拒否するものは、山に籠り「原始的生活」をするしかなかった。すべての者が参加を強要された。個人の側から見れば、自由と平等の名のもとに、自由に「経済活動」を行うことにより、しあわせな生活を誰もがえられるはずであった。たしかに「経済活動」の勝者は「しあわせな生活」を獲得した。しかし、敗者は「困難な生活」を耐え忍ぶしかなかった。多くの人々にとってあたりまえのことであり、あきらめるか、一層マネーゲームに没入するしかなかった。
しかし、子や孫のことを憂い、あきらめなかった人々もいた。すべての人が平等にしあわせを手にできるはずだと考える人々が「人間本位の時代」への変化を推し進めることになった。
(九)クスノキ
森のほとりに大きなクスノキがある。そのそばを通るときに(こんにちは)と話しかけたら、(大きくなったね。昨日川の土手を走っていたね。足は大丈夫かい)って言われた。(なんともないよ)って言ったら、(元気でなにより)って喜んでくれた。樹木っていつもは何にも言わないから話ができないのかなって思っていた。
(十)カオスの時代
民主主義の時代、マネーゲームの時代は同時に「カオスの時代」とも呼ばれる。人心が荒廃し、災害と戦争だけでなく犯罪、病気、貧困が激増し、出口の見えない状況になった。世の中が悪くなるばかりで、改善の道筋が見えなかった。マネーゲーム経済では自己のしあわせは追及するが、他者の不幸は意に介さない。他者の命も健康も暮らし向きも、自己のしあわせのための道具にすぎない。なによりも他者を気にかけていては勝者になれない。
本来、共存共栄が成り立たねばならないはずの生命圏を、他者の命をかえりみない暴虐の嵐が吹き荒れ、人の心が狂気に傾いた時代であった。
(十一)生存環境
大きなクスノキの少し先に大きな栗の木がある。なんとなく元気なさそうだったので、(どうしたの)って聞いたら、昔、ヒトが害毒をばらまいていたことがあったと言う。農薬とか、肥料とか言うらしい。(生き物はみな、生まれながらに環境の中に出現した害毒を浄化しようとする。動物も植物も微生物も皆で協力して生きられる環境を保っている。自らのからだに取り込んで浄化することもあるから、死ぬこともある。しかし、それはこの星に生きる生き物の宿命なんだ。それによって生存環境は守られてきた。そして、それは、ヒトも例外ではない。ヒトは自分がばらまく害毒を、最終的には自らの命と引き換えに浄化することになる)そうだ。ヒトってわかっていないんだ。
(十二)人間本位の時代
「人間本位の時代」に入って貨幣が廃止され、人々の暮らしは大きく変わることになる。人々は「便利で豊かな暮らし」ではなく、「健康でみんながしあわせな社会」を選んだ。競い合うのではなく、助け合う道を選んだ。不便さと貧しさは一時的なものであると考えられた。
すべての人々に食糧確保の手段が必要になった。買うことができないからである。多くの人々は自らの田畑を耕す道を選んだ。生活必需品を生産する職人や技術者になる道を選んだ人々もいた。
人々は必要な物と、必要でない物を振り分けねばならなかった。必要な物は何が何でも作らねばならない。もしくは、どんな犠牲を払ってでも手にいれねばならない。自分たちの手で作れる物は作りはじめた。しかし、自分たちの手で作れないものは、・・・。人々は自動車を手放した。大八車と荷馬車でがまんした。列車を手放し、飛行機を手放した。船も帆船のみが航海した。テレビとコンピュータ端末は姿を消したが、電話とラジオは村ごとに確保していた。
病院と介護施設も姿を消した。心身の病いが激減したこともあるが、人々が「生」に固執しないことを選んだことによる。自力で生きられなくなった人にとって「天に帰る」ことがあたりまえになった。
(十三)葬儀
「隣のハナおばさんの葬儀が昼から行われる。あっさり逝ってしまったな。」
「先週からカゼ気味で、食欲がない言うて元気なかったみたいでしたが、昨日の朝、息がなかったそうな。いい死に方でしたね。」
「やしゃご(玄孫)を連れて畑に出ていたもんな。百十五歳なら悔いもなかろう。」
(十四)まだ見ぬ調和の時代
川べりの家に住むミチおばさんはヒトにしては物事がよくわかっている。いつもおだやかで、楽しくしている。寄っていくと「タン、いらっしゃい。今日はどこで遊ぶの。」とか声をかけてくれる。ミチおばさんの楽しい気分がぼくにも伝わってくる。だから鼻を摺り寄せたりする。
ミチおばさんはイヌを飼っている。チョンおばさんだが、ミチおばさんは「オーキー」と呼んでいる。そのチョンおばさんはいつも楽しそうに走り回っていてなかなかミチおばさんの家にはいない。ミチおばさんが呼ぶと、勢いよく走って来て、ひとしきりミチおばさんにじゃれかかる。そのあとぼくにも声をかけてくれる。そのチョンおばさんが教えてくれた。(もうすぐ、ヒトと話ができるようになる。ヒトがもう少し賢くなるのよ。この地上で、ヒトと動物が助け合うときがくる)と。
早くくればいいな、そんな、みんながしあわせな世の中が。
平成27年1月15日
これでこの作品はおしまいです。もし、値打ちがあると思われましたら、以下よりご購入いたでけましたらありがたいです。
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