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〈私〉を表出者とする。

森が森であると誰が決めたのだろう。
木々が影を作り、光がその間を滑り抜ける。
湿った空気が香りを運び、羽音が響きを刻む。
それらが森であると語られるたびに、影が揺れる。
だが、もしそれが森ではなかったとしたら?
ただ光と影と香りが交わる裂け目の一場面にすぎないのだとしたら?
影の中、木々が形を変える。
それが木の葉であるのか、空を裂く光の断片であるのかはわからない。
影は光を追い、光は影を滑る。
裂け目に立つ何かが、それを木々として感じた瞬間に、森という言葉が浮かぶだけ。

もし影がそれを水の流れと見れば、森は川となり、湿地はただの滲む輪郭となる。

裂け目の中に白い花が揺れる。
それが花であるのか、影の塊が裂け目に映り込んだだけなのか。
香りが漂うたびにその存在が確かめられるが、それもまた風が動く一瞬の戯れかもしれない。

もしその香りが裂け目の向こうで途絶えたら、白い花は何だったのかを問う者はいなくなる。

湿地に震える羽音が響く。
それは虫の羽ではない。

もしその羽音が裂け目を擦る風の音だったとしたら、湿地はそこにない。

影が動き、光が反射するたび、その音の源が変わり続ける。
虫としてそこにあるように見えても、次の瞬間には影の揺らぎとなるかもしれない。
裂け目の中、光と影が絡み合う。
木々が森を生み出すのではなく、裂け目が森を編み出しているのかもしれない。
だが、裂け目自体が森だと知っているわけではない。
裂け目から見える世界は、ただ光と影の交差が織りなす模様であり、それが森として認識されるかどうかは見る者の視座による。

もし裂け目が森ではなかったとしたら。

白い花は風が揺らした光の錯覚であり、湿地の羽音は裂け目そのものが震えているだけだとしたら。
森が存在するのは、誰かがそこに森を見た一瞬の記憶にすぎない。
その記憶が影を作り、香りを運び、裂け目を森に見せる。

だが、もしそれが森だったとしたら。

木々の葉が光を裂き、湿地が影を刻む。
香りが漂い、羽音が響くその一瞬一瞬が、裂け目を森として形作っているのだとしたら。
その森は何のためにそこにあるのか、それを知る者はいない。
ただ揺らぎが続き、裂け目が交差の中で森を生む。
森が森であったのか、森ではなかったのか。
それを問う者がいない裂け目の中で、光と影、香りと羽音が消え、また現れる。
それが森であるなら、それは森だろう。
それが森でなかったなら、それは森ではないだろう。
揺らぎだけが裂け目の中に漂う。
その揺らぎが森を生むたび、裂け目は静かにそれを受け止め、また手放す。
森であったものが、森ではなかったものと交わる場所。
それが裂け目であり、そこで生じるすべての物語である。


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