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プレゼントされて分かった「贈与」って分からない。|14883文字

初めに:伊藤雄馬さんに贈与本を贈与していただいた件。

突然、友人からメッセージが来た。
「贈与論の本を作ったので、贈与します!ご笑覧ください。」
これは、ムラブリ研究や、贈与に関して研究しながら生活しているフィールドワーカーの伊藤雄馬さんだ。

↑(気になる方はぜひ買ってくれぇぇぇ!)
この言葉をみて、言葉が立体になる感じを僕の中で感じ取れた。
これはなんなのかと気になった瞬間、「あ、贈与か」と思った。
言葉にしたときに、その言葉が立体になることがある。(おーさわ言語辞典に書いてある、立体は、その言葉から自分の体験が思い出されてイメージできていること)
例えば、ご飯食べたいから、ご飯食べる。眠りたいから寝る。この道のほうが直感でどこかに開かれている気がする。など、それは言葉のような、イメージが湧いた瞬間に、「湧いた」というよりは湧いているときにその方向が何かの対象に向けて、形象化すると思う。
要に「おれが、私が、われらがそうしたいからそうした」と語っていたようなそんなものごとがふと後ろから感じる。
なぜ後なのかなと思う。
それは僕の中で後ろから前に歩いていくという動作があるから、後ろは歩いてた軌跡のようなものだから。過去のように感じているのだろう。
でも過去のように感じたのは今だから。過去なのだろう。
伊藤さんは、前にいる僕らに贈与をしてくれたのかもしれない。
僕がその贈与本を読む時にはすでに伊藤さんは後ろで手を振っている。そんなように感じたがこれは自意識の中での時間間隔なのだろうと感じた。
伊藤さんは本を贈与「している」。
そして、僕がその本を受け取ったときには、もう「受け取っている」
これは贈与された。贈与した瞬間が必ずあるということ。
それはある意味その本を渡している行為のなかで「贈与」が意味しているのだろうと。
それを僕はふと、本をもらったときに感じた。
(12月9日 渋谷区 自宅にて)

全体を通して、少しだけ文字を書く。
『身近な贈与論 奢られ、子育て、カニバリズム』は、贈与という日常の中で見逃されがちな行為に焦点を当て、その多面的な役割や視ること、視られていることなどのあらゆる交叉を明らかにする一冊だなと感じました。
でちさんや岩野さんとの議論を通じて、贈与の持つ自由さ、生物学的視点、そして文化的継承が描かれています。
僕らにおいての生活や社会の中で、贈与がどれほど深い影響を持つかを再考している。
「プロ奢ラレヤー」という一風変わった存在を通して、贈与の持つ複雑さが語られていた。
彼は、「他人に奢られる」ことを職業としている。
その仕組みの中で「余剰性」の「大小」軸に語られています。
細かく言うと、奢る側が無理なく提供できる余剰の範囲内で贈与を行うことで、互酬性を必ずしも求めない関係が生まれるという点です。
また、このテーマに関連して、でちさんとの議論では「贈与が持つ自由さ」について深掘りされました。
でちさんは贈与が互酬性に縛られず、余剰を生かして行われる行為だからこそ、人間らしい豊かさがそこに宿ると指摘して、
この視点は、奢る側と奢られる側がどのように新しい関係性を築くのかを考える上で非常に興味深いものだったりします。
次の章では、「贈与とは何か」をさらに深く掘り下げています。
「呪いの贈与」や「ポトラッチ」の事例を通じて、贈与が単なる好意ではなく、時に相手を縛る力を持つことが示していた。
特に、「モノに所有されない贈与」の議論では、モノとの関係性を問い直し、贈与行為が心理的な負担や社会的な責任をどのように生むのかが検討されています。
贈与は、相手への愛情や思いやりと同時に、関係性の調整や再構築を可能にする力を秘めています。
子育ては、本書で「互酬性以前の贈与」として紹介されています。
親が子どもに与える愛情や時間、資源は、返礼を求めるものではなく、無償で行われるものです。
岩野さんとの議論の中で、この贈与がさらに生物学的な観点からも考察されました。特に、子どもが母親の胎内で栄養を吸収する行為が「カニバリズム」として捉えられ、生きるための基本的な贈与の形として提示されていて。
さらに、子育ては単なる家庭内の行為にとどまらず、社会全体への投資としても機能します。
親が子どもに与えるものは、未来の社会の構築に繋がるものであり、無償の贈与が次世代の可能性を広げる重要な役割を果たしています。
この章では、親子関係を通じて贈与がどのように働き、家族や社会のつながりを形成するかが明らかにされています。
「カニバリズム」というテーマでは、贈与が文化や生命の継承としてどのように機能するかが論じられます。
たとえば、家族の中で伝承される料理のレシピや昔話は、単なる知識や技術の共有ではなく、その家庭の価値観やアイデンティティを次世代に伝える贈与として捉えられます。
さらに、ムラブリという狩猟採集社会の事例が取り上げられています。
ムラブリの人々は、食料や道具を分け合うことで社会全体の均衡を保っています。
この行為は、個人の利益を超えた連帯性の表現であり、贈与が共同体の存続に不可欠であることを示しています。
この章では、贈与がいかにして個人の行動を超え、社会や文化を支える力を持つかが強調されています。
贈与の現代的再解釈
現代社会では、クラウドファンディングやシェアリングエコノミーといった新しい形の贈与が広がっています。
これらの仕組みは、見知らぬ人々との間で贈与を可能にし、個人の余剰を社会全体の価値へと変換する方法として注目されています。
たとえば、クラウドファンディングは多くの人々が小さな贈与を行うことで、大きな目標を実現させる仕組みを提供しています。
このような贈与は、伝統的な形を超えた新しいつながりや関係性を生み出しています。


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