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メダカの鉢が草ぼうぼうに
入院している間に水鉢が草ぼうぼうになっていた。
たぶんエサももらってはいなかっただろう。 でも生きていた。
麻酔が切れたとき、病室で背中を丸めて母を呼んでいたと先日書いたが
私は決して母とうまくいっていたというわけではない。
私は4人姉妹の2番目。母は再婚なので父にとっては長女だ。
常に「お前は長女なんだから」と言われ続けて育った。
母は自分の理想を私に押し付けてきた。
フリルのついた女の子らしい洋服を着せたがった。
私は特に反抗もしない子供だった。
反抗はしないけれど、心では自分で勝手に距離をとっていた。
そんなことはなんとなく上手くできた。
でも大人になって、女の子らしい洋服は嫌いで着なかっし、今も変わっていない。
それがせめてもの反抗なのだろう。
自分の子供との距離の取り方も学べなかった。
私は子供とは距離をとりすぎるぐらい、とってしまう。
それはあるいは冷たいと映るのかもしれない。
たぶん母を反面教師にしている。
だが別に母を嫌いなわけではない。
その証拠にいざとなったら、弱音を吐く相手は母だった。
そもそも親子も別人格なのだから仕方がない。
母は母なりに、父に対する遠慮や気負いみたいなものもあったのかもしれない。
父が結核で寝込んだ時、父を支えた強い母が私は好きだ。
私は母の生き方をきちんと認めている。