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夏の帰省。収穫は?

パートナーともめに揉めた1年間。
実家の家族との精神的距離が変化した1年間。
自分のやりたいこと、願いに忠実に動いた1年間。

そんな中、40数年感じてきた違和感の正体がついに分かった。

その①
母が。
私の母が、私の友人を自宅に招いたときに起こすある行動。

私が隣にいても、ひたすら彼・彼女に質問を浴びせかけてトークを展開する。
自分は話を拾って広げるのは不得意なので、母すごいなぁと思っていたのだがなんだか違和感。
家族と友人が仲よくしてくれるのはありがたいことなのだが、モヤモヤモヤモヤ…

これ、自分が友人と話せなくてモヤモヤしているのだとばかり思っていた。

しかし違った。

本当は、友人にヤキモチを焼いていたのだ!!!

…びっくり。

私は母と、普段からたくさん話したいのだ本当は。
けれどもそれが叶わなかった。
それか叶う家族構成や、関係性ではなかったのだ。

だから私はモヤモヤする。
母と友人が仲よく話に花を咲かせている場面を見てモヤモヤする。

今年の夏は、帰省してそこに気付くことができた。

だから私は、夜に台所で食器の片付けをしながら母とお喋りした。
夕飯時には、お酒を飲みながら話をした。
今まで話してくれなかったことも、話してくれた。
実は彼女、秘密主義でその上自分を大きく見せたがる人だった。
年取って、その辺丸くなったのかな?


時間的にはコンパクトな帰省期間になったのだけれど、とても収穫の多い時間だった。

その②
さてさてパートナーとは。
揉めに揉めることができて、本当に良かった。
私の本音も、相手の本音も引っ張り出せた。

結論なんか出なかった。

お互いのどうしても許せないところ。
お互いのどうしても譲れないところ。
それぞれの育児観、家庭観、時間管理の癖、対人関係の癖…

結論だそうとしたときもあったが、そうするとどうしても離婚まで話が伸びてしまう。

だからもう、どちらが正しいか、どちらか一方に、という結論は、出さないことにした。私は。

それぞれのやり方があるね。考え方があるね。
わが子①には君の言葉が響いたけれど、わが子②にはこっちの方が良かったね。③には外部の声がいいみたいだね。

教育関係機関で働いていたとき、子育てや教育は、学校(幼稚園や保育園)・社会(地域)・家庭のお互いが協力して作り上げるもの、と耳にたこができるほど聞いていたのに。
いざ子育てをする立場になったら、家庭だけで、自分だけで全て背負おうとしてしまっていた。

「手数がたくさんあると考えられるかどうか」

最近読んだおおたとしまささんの本に書いてあった言葉。

なるほど!

教育観を一本化しないと、家庭の子どもが迷ってしまうから…と、揃えよう揃えようとしてきたが、我が家の場合は合わなかったようだ。

それが分かったことが、何よりの収穫。



さてこれからの1年間。
次はどんな事が分かってくるのかな。
気づけるのかな。

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