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大和魂の意味の変遷
📌 YouTube動画の内容
平安時代 から使われているという 大和魂 という言葉の意味の変遷をまとめてみました。
文学史上に現れる大和魂という言葉は、思っていた意味と違っていて、驚きました。
🌸藤原時平の大和魂
🌸赤染衛門の大和心
🌸光源氏の大和魂
🌸藤原隆家の大和心
🌸本居宣長の大和心
の原文と出典を挙げました。
📌 余談ですが、熊楠さん、そして昭和天皇と。
you tube の表紙には宣長さんに登場していただいているのですが、
サムネだけ、中にチラリと出ていただいた若い熊楠さんに登場していただきました。
美貌がキャッチ―なので、つい。
動画の中には、明治のインテリとして一瞬、
この若い熊楠さんと、
むっくりと熊みたいになった、厚い本を握ってラフな着物姿の熊楠さんに登場していただいています。
和魂洋才の具現みたいに思えたので。
皇太子時代、昭和天皇が南紀行啓の際、熊楠さんがミルクキャラメルの大箱いっぱいの標本を差し上げたのを、
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昭和天皇は大層お喜びになって、
昭和になってからの再度の行幸で、
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を 思ふ」
とお詠みになって熊楠さんを偲ばれた、
というお話が大好きなのですが。
昭和天皇が熱く楽しく植物のお話をなさったのは、熊みたいになった方の熊楠さんなんでしょうね。
「熊楠よ、熊楠よ」と、昭和天皇が南紀のホテルから、かつて御進講のあった神島の方を向いて、呼び掛けられた、、
というのは、多分、白洲正子さんの創作なのでしょうが、
まるで見てきたみたいに胸がきゅんとなる場面です。
山田風太郎『人間臨終図鑑』に、
南方熊楠は臨終に
「天井に美しい楝(おうち)の花が咲いている。医者が来るとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ。縁の下に白い小鳥が死んでいるから、朝になったら葬ってやってくれ」
と、不可解な詩のようなことを呟いたとあります。
どの端っこを取っても美しい人だなあときゅんきゅんしちゃいます。
眞斗通つぐ美