二月二十日過ぎ 紫宸殿の桜の宴 なるべく挿絵付き『花宴』①98
・ 紫宸殿の桜の宴
源氏は二十歳になりました。
二月の二十日過ぎに、紫宸殿の桜の宴がありました。
藤壺皇后 と 春宮 の御席が左右に設けられます。
弘徽殿女御は藤壺宮がこうして中宮としておわすことが何かの折ごとに不愉快でたまらないのですが、
催し事の御見物はお好きで、見過ごせないので春宮の御席で陪観します。
よく晴れて空の色は明るく、鳥の声が気持ちよく響いています。
・ 探韻
その道に自負のある人達が、親王方、上達部をはじめ脚韻の文字を賜って詩を作ります。
順番が来て源氏が「春という文字を賜りました」と言明します。
その声だけでも人並みならぬ魅力が溢れているのはいつものことです。
次は頭中将です。
この順番ではひどく見劣りしそうなものですが、さっぱりと行き届いた態度で声遣いも堂々として優れています。
この立派な貴公子達の後では、他の人達は気後れしてしまうのでした。
殿上を許されない身分の人達などはまして、
帝も春宮も学問に優れておいでで、この方面に並々ならぬ才のある官人も多い頃でしたから、
臆して戸惑い、広々と明るい庭に立つだけのことにも怖気づいてしまいます。
高齢の文章博士などは、身なりは見すぼらしくとも場馴れていたりします。
色々な人がいて興味深いことです。
・ 舞楽
舞楽なども申すべくもなく優れた人達が選ばれていました。
日没の頃に『春鴬囀』という舞が大変興趣深く舞われます。
春宮が、紅葉賀の折の源氏の青海波の舞を思い出し遊ばして、挿頭の花を賜ります。
どうしても舞って見せよとお責め遊ばすので、源氏もお断りもできずに、立ってゆるゆると袖を返す一節を形ばかり舞います。
やはり比類ない美しさです。
左大臣は日頃の恨めしさも忘れて涙を落とします。
帝は、「頭中将はどこにいるのか。遅いではないか」と仰せです。
頭中将は、こういう時のために準備していたのか、『柳花苑』という舞をたっぷりと舞います。
大層見事に舞ったので、御衣を賜ります。
滅多にないことです。
宴もたけなわになって、上達部が皆順序もなく舞い始めますが、暗くなってからは巧拙もわかったものではなくなりました。
・ 詩の披講
詩を披講する段になります。
源氏の作は、一句誦ずごとに講師が褒めそやすので、なかなか進みません。
博士たちも佳詩であると思うのです。
こんな時でも一座の光となっている源氏ですから、帝が疎かに思すわけがないのです。
・ 藤壺中宮の煩悶
藤壺中宮は、こういう場でも一段と光り輝く源氏の美貌にも傑出した才にも、やはり魅了されずにはいられません。
そして、弘徽殿女御が源氏をひたすらに憎むことを不思議に思い、御自分がそんな風に考えてしまうことを情けないと自省されるのでした。
📖 おほかたに 花の姿を 見ましかば つゆも 心のおかれましやは
(何も思い煩うことのない世間の人達のように花の姿を見ることができるなら、つゆほども思い悩まなかったろうに。花につゆも心も置かずに済んだものを)
中宮の御心中の御独白です。
こんなことが、どうして世間に洩れたのでしょうか。
・ 旧暦二月二十日
旧暦2月20日は、
2023年カレンダーで は、4月10日 に当たるようです。
📌 探韻
こちらに、『年中行事絵巻』の『内宴の献詩披講』の図を載せてくださっています。
貴族たちが、仁寿殿南広廂に集まっています。
図の上方、紫宸殿側に、文台 があります。
文台の上に、韻字の書かれた紙 の入った器が置かれ、参加者はくじ引きのように、順に器に手を入れて、引き当てた文字を脚韻とする詩を作る、ということのようです。
次のページには内教坊の妓女が舞う場面が掲載されています。
中宮や女御のような貴女の見物席は描かれていないようですが、
右側①の記号のすぐ下の御簾を上下に分ける線は、帝が覗いておられるところだそうです。
📌 春鴬囀
唐楽。壱越調。
📌 柳花苑
唐楽。双調。
四人の女舞だったのが、舞は平安期に絶えたそうです。
眞斗通つぐ美
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