1 なんちゃって図像学 桐壺の巻(1)
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1 帝と若宮の御対面
隆盛の右大臣家の娘弘徽殿女御は既に第一皇子を儲けていましたが、
桐壺帝の愛は大納言の父を亡くして後見のない桐壺更衣にあり、第二皇子が生まれると帝は慣例の許す限り早く、母更衣と若宮を宮中に呼び戻されました。
🌷🌷🌷 『帝と若宮の御対面』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼
🌱 産後の桐壺更衣と若宮を逸るようにお召しになった帝です。
御対面場所は後涼殿に賜った上御局でしょうか。
帝の印の繧繝縁におわす帝。
若宮を抱いてお見せする乳母。
身分が高い印に隠れている?桐壺更衣。
控える帝付き女官、更衣付き女房たち。
📌 帝の冠が垂直に立つのはかなり新しい時代のようです。
📌 プライベート空間の帝は、本当は緩やかに御引直衣をお召しかもしれません。鎌倉末期に成立した『枕草子絵詞』には御引直衣で寛がれる一条帝の絵がありますね。
📌 源氏物語図では、後宮の帝も御簾を垂らして威儀を正しておられることが多いようですが。記号的なことなのかもしれません。
📌 身分の高い女性は几帳に隠れているという描写については、
例えば枕草子に、帝が昼食で上御局を出て行かれた後、中宮定子が几帳を押しやって伊周の控える廂の方に出ていく、というところがありますが、
・帝のおられる時にはお妃は寧ろ隠れているということなのか?帝付きの女官の目もあるので?
・出て来たのは几帳の陰からというより、閨事の余韻の残る御帳台からということなのか?
どうなのでしょう。
帝がお渡りでない時には、お妃は、殿舎であれ上御局であれそこの主なのですから、楽な小袿などでくつろいでいたのだろうと想像してしまいます。
📌 更衣への陰湿な狼藉
桐壺更衣の出産後、御寵愛は際立ったままでしたが、御息所としての重々しい御扱いとなり、片時も御側を離されないということがなくなり、更衣は却って日毎夜毎のお召しの度に往復をしなくてはならなくなりました。
遠い道中の間にひどい嫌がらせを受けるようになりました。
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2 靫負命婦の弔問
若宮3歳の夏に更衣は心労から亡くなり、帝は御嘆きに沈まれ、秋風が立つ美しい夕月夜に、靫負命婦を二条にある更衣の実家に遣わされました。
帝の御使者なので、車は南面廂近くまで入れます。
娘の喪に沈んでいる僅かの間に邸は荒れ果てて、美しい月影だけが差し込んでいます。
涙ながらに語り合ううちに深更に至り、大納言の未亡人であった更衣の母は残してあった装束一領と御櫛箱を形見として贈り、命婦は帰参して帝にお見せします。
🌷🌷🌷 『桐壺 靫負命婦の弔問』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼
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3 高麗人の観相
再び若宮の参内が叶い学問を始めるとあまりにもあらゆることに非凡なので、第一皇子が既に立坊されているにも拘わらず右大臣家方は警戒を強めます。
そんな中、帝は若宮を、鴻臚館に滞在している高麗人の人相見に観させました。身分を隠し、世話係の右大弁の子として遣わされました。
人相見は、『国の親となり最上の位に上るべき相であるが、それでは国が乱れるかもしれず、朝廷の重鎮となって政を補佐する人かと言えばそれも違う』と、何度も首を傾げて不思議がります。
帝は、後見のないこの極めて優れた人を無品の親王に据え置けば世が乱れ、若宮自身にも不幸なことになる確信を更に強められ、臣下に降ろす御叡慮を固められます。
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🌷🌷🌷 『桐壺 高麗人の観相』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼
📌 鴻臚館は平安京の南部に設けられた外交使節の宿泊施設のようです。
(・・・➡『なんちゃって図像学 桐壺の巻 (2)』に続きます。)
眞斗通つぐ美
📌 まとめ
・ 帝と若宮の御対面
https://x.com/Tokonatsu54/status/1710854186949300289?s=20
・ 靫負命婦の弔問
https://x.com/Tokonatsu54/status/1710854414737850554?s=20
・ 高麗人の観相
https://x.com/Tokonatsu54/status/1710858475058888962?s=20