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賢木⑨‘ 道真様の御祟り 朱雀天皇と源氏物語中の朱雀帝


【Cf. 歴史上 朱雀帝の御代 菅原道真の祟り】

≪ 道真様の御祟り ≫

😮源氏物語の帝と同じ御名の、実在された方の朱雀天皇様の御代は、凶事が多くて、
😮醍醐天皇様の御代に藤原時平様の讒言を容れて菅原道真様を九州に左遷されたことで起きた道真様の祟りが、御代替わりの後も、関係者をターゲットに、ずっと続いていると信じられていたらしいの。

≪ 清涼殿の落雷 ≫

😮朱雀天皇様の御即位直前の清涼殿の落雷に続いて、富士山の噴火地震洪水平将門の乱藤原純友の乱に加えて、帝御自身の御病弱…。

【歴史上の朱雀天皇と源氏物語の中の朱雀帝】

🤔源氏物語を読む人は、物語の朱雀帝を100年近くも前に実在された凶事の多かった御代と重ねることはあったのかしら。
🤔朱雀天皇様の御父君醍醐天皇様の後宮は実際、「女御、更衣あまたさぶらひたまひける」後宮だったようだしね。

😮物語の方では、朱雀帝
源氏29歳の📕『澪標』の巻で御譲位あそばしたのだけど、
源氏35歳の📙『少女』の巻で初めて朱雀院にお住まいだと明かされて、それで、遡って朱雀帝とお呼びすることになるのよ。

😦源氏18歳の秋に、桐壺帝が行幸されて、源氏が頭中将と青海波を舞ったのが朱雀院だったわよね。
🤔桐壺帝が行幸あそばすくらいだから、この時に朱雀院にお住まいだったのは桐壺帝の父君でいらしたのかしらね。

≪ 桐壺帝が朱雀院に行幸 ≫

😮源氏35歳の2月に冷泉帝の朱雀院への行幸があるのだけど、相続されたか何かで、世代を超えて朱雀帝が、多分御祖父君のお住まいだった同じ朱雀院という御殿にお住まいなのかしらね。

≪ 冷泉帝が朱雀院に行幸 ≫

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この部分の周辺に関する動画です。

😮朱雀は、実在の方の朱雀天皇と 源氏物語の方の朱雀帝といらして、
😮朱雀は、実在の方の朱雀天皇も 源氏物語の方の朱雀帝も、御譲位後にお呼ばれだったろうし、
😮建物の名前としては、実在の方で、嵯峨天皇から村上天皇までの仙洞御所(院の御所)が朱雀院だったようだし、
😮同じく建物の名前として、源氏物語の方では、桐壺帝冷泉帝も 仙洞御所としての朱雀院 に行幸しておられるの。
🤪朱雀帝や朱雀院は、帝の御名でもあり、御殿の御名でもあり、歴史上にも源氏物語にもいっぱい登場されるので、混乱するわね!

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😦源氏物語の方では、『少女』の巻の行幸までは朱雀帝とお呼ばれになったことはないわけだから、リアルタイムで源氏物語を追いかけていた方達は、作中の朱雀帝実在の朱雀天皇と重ねていたかどうかはわからないわね。
🤔式部さんの心づもりはわからないけれどね。
😦悲運の帝としてねえ。

この部分の周辺に関する動画です。

                        眞斗通つぐ美


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