(参考) VIVA 風俗博物館! 中宮彰子出産 紫式部日記より 『葵』⑩112
・ 中宮彰子の御出産 @土御門第
秋。
道長の土御門第には出産を控えた中宮彰子の宿下がりを迎えて、
日に六度の読経が絶やされない。
寝殿では五壇の加持祈祷が行われている。
我がちに声を張り上げる伴僧の声々が遠く近く響き渡るのが物凄いほどに尊い。
後夜の祈祷に交代する20人の僧が東の対から寝殿に向かう。
中夜の祈祷を終えた僧達が、唐風の高欄の橋を渡って、
木立ちを越えて馬場殿や文殿の休息所に向かう様子が情趣深い。
斎祇阿闍梨も、 大威徳を敬まって腰を屈める。
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(📖 後夜の鉦打ち驚かして、五壇の御修法の時始めつ。 われもわれもと、うち上げたる伴僧の声々、遠く近く、聞きわたされたるほど、おどろおどろしく尊し。 観音院の僧正、東の対より、二十人の伴僧を率ゐて、御加持参りたまふ足音、渡殿の橋のとどろとどろと踏み鳴らさるるさへぞ、ことごとのけはひには似ぬ。 法住寺の座主は馬場の御殿、浄土寺の僧都は文殿などに、うち連れたる浄衣姿にて、ゆゑゆゑしき唐橋どもを渡りつつ、木の間をわけて帰り入るほども、遥かに見やらるる心地してあはれなり。 斎祇阿闍梨も、大威徳を敬ひて、腰をかがめたり。 人びと参りつれば、夜も明けぬ)
※後夜:六時(晨朝、日中、日没、初夜、中夜、後夜)のうち夜半から朝まで。午前4時頃?
※五壇の御修法:五大明王(不動明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利明王・金剛夜叉明王)を一壇ずつに安置して
※東の対より:彰子のいる東の対から加持会場の寝殿まで
※馬場の御殿、文殿:それぞれ僧の休憩所
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9月9日の夜中、いつもより辛そうにおなりで、加持の僧達が参り、夜中から一層騒がしくなって、
・ 9月10日
9月10日の暁に、中宮の居室の室礼が白く変わり、
中宮は純白の御帳台にお移りになる。
道長を先頭に、四位五位の男達が模様替えの力仕事に騒がしい。
一日落ち着かずに過ぎていく。
もののけの降りた憑坐達も騒がしい。
ここ数か月ずっと侍っていた僧だけでなく、
全ての山々寺々の修験僧も陰陽師も、余すところなくこの邸に参集している。
寺々に送る使者も引きも切らず、騒がしいまま夜は過ぎていく。
母屋の中央に据えた御帳台の
東側には、内裏からの女房が詰めている。
西側には、屏風で仕切って出入り口に几帳を立ててそれぞれに下級の修験僧と憑坐と担当女房が詰めた区画が並ぶ。
南側には高僧が所狭しと並び、声も枯れよと誦経の声を張り上げ、
不動尊の生き姿をお呼び出し申してしまわんばかりである。
北側の襖障子と御帳台の隙間に40人もの邸の女房がひしめいている。
ぎゅうぎゅう詰めで身じろぎもできず、のぼせて失神してしまいそうである。
今里から参上した女房などは、折角参ったのに上ることもできない。
裳の裾や衣の袖がどこかに行ってしまい、年配の女房などは泣き惑っている。
(※ 女房装束で満員電車 的な?)
・ 9月11日
北側の襖障子を開け放って、中宮は、北廂の間にお移りになる。
御簾も掛けられないので几帳を重ね置いている。
高僧達が侍って祈祷している。 道長が大声で唱和する声が頼もしい。
込み合い過ぎてお加減も悪くなろうかというほどに、女房達を南側と東側に詰め込む。
母上や身近な女房を几帳に入れる。
女房達は化粧も落ちるし髪には魔除けの米粒は付いてるし、もう姿も体力的にもボロボロになっている。
涙やら何やらでぐしゃぐしゃになっている衣装がどんなに見苦しかったか、後で考えれば可笑しいことだった。
・ 御受戒
頭頂の髪を少し削いで御戒を受けさせられるので、
どうしたことかと皆が泣き騒ぐうちに、 無事に出産なさった。
まだ後産が残っているので、 この広い母屋、南廂の間、簀子まで溢れ返った僧も一般人も皆もう一度額づいて念誦する。
まさに御出産の瞬間にもののけの喚き立てる声は気味悪かった。
なかなか移らない憑坐もいて大騒ぎだった。
物の怪に引き倒される気の毒な阿闍梨もいたので、
他の阿闍梨を呼び寄せて大声で祈祷させた。
僧の験力が弱かったのでなく、もののけの力が強かったのだ。
📌 風俗博物館!!!
このページのお人形の写真は、京都の風俗博物館様の御展示です。
風俗博物館の御人形の御展示は、文章だけでは想像の及ばない源氏物語の世界を現前化してくださいます。
源氏物語周辺が好きな人たちには一大テーマパークというか、夢のワンダーランドというか、何というか、天国です!
1/4に縮尺されて、物語の一部が細部まで生き生きと再現展示されています。
普通の有職柄の布地で1/4サイズの着物を作れば、1/4サイズのお人形からすればとんでもなく巨大な柄になってしまいますから、お人形の為に装束の柄まで初めから1/4のミニチュアの布地を注文なさっておられるそうです。
定期的に展示替えされているそうですので、伺った時にたまたまどんな場面が繰り広げられているか楽しみです。
源氏物語図 立体屏風だなあと思ってうっとりしてしまいます。
📌 京都西本願寺の道路を挟んだ向かいの端にあります。
📌 大音量と煙と匂いと
寺々山々空っぽになるほど所狭しと集められたお坊さん達の我勝ちな読経だけでも大変なのに、床近くに区切られて何人も並んでいる狂乱の憑坐の声、それを調伏せんと声張り上げる下級僧の叫び声、、
現代の私にはカオスとしか思えないのですが。
陣痛でどんなに喚いても大丈夫という安心感はいっそあったりするのかも?
大ロックコンサート的熱狂の中で皆心をひとつに、なんていう一大イベントでもあったでしょうか。
煙に芥子も混じってるし。
📌 三十時間に及ぶ難産
受戒も高僧が枕頭に入るのも、三十時間にも及ぶ難産であったからなのでしょうか。
難産と加持祈祷の混乱がそのまま葵上の出産に写されたのかと想像してしまいます。
風俗博物館様のおかげで、想像が更に膨らみます。
📌 高僧の通行権
紫式部さんが屏風越しに高僧に様子を伝える場面があったような気がします。
いよいよ産まれるクライマックスの頃には高僧一人御帳台に招き入れます。授戒からそれに続く祈祷まで、枕頭におわすままでしょうか。
お坊さんは斯くの如くに治外法権で、心細く命の境界にいる時の導きの糸で頼りの杖なのでしょうから。
後宮を巡るお坊さんのスキャンダル的な説話が奈良時代から脈々と続くわけなんであるな、なんて思ったりもします😀 不謹慎でございます😔
📌 浮舟の芥子(けし)
葵上の護摩焚きには書かれ、中宮彰子の護摩焚きには書かれていない芥子ですが、
『手習の巻』には、身投げした浮舟の為に横川の僧都の母尼君が芥子を焼かせたという記述があります。
(📖 夢語りもし出でて 初めより祈らせし阿闍梨にも 忍びやかに 芥子焼くことせさせたまふ)
眞斗通つぐ美