帝に見られ頭中将にもバレる なるべく挿絵付き『紅葉賀』⑮93
・ 帝に見つかる
典侍の取りすがる愁嘆場を、実は、御召し替えから戻られた帝が、障子の隙間から御覧じておられました。
不似合いぶりをとても可笑しく思されますが、それよりも、
「真面目過ぎるとずっと心配してきたが、そんなことはなかったのだな」とお笑いになります。
典侍は、ばつは悪いものの、
恋しい人の為なら濡れ衣も着たがる という世の習いの通りに、抗弁もしません。
源氏との噂などは満更でもないどころか勲章でさえあるのかもしれません。
・ 頭中将にバレる
この意外な恋愛関係は皆の知るところとなります。
皆がひそひそと、「意外だわねえ」と取り沙汰します。
頭中将も聞きつけて、
「あの人についてこれだけ隈なく知っているつもりの私にも気付かないことがあったのか」と思い、ほくそ笑みます。
そして、老女の果てしない好色を覗いてみたいという自らの好奇心からも、負けてはならじと典侍に言い寄ります。
頭中将も人に優れた人ですから、断る理由もないのでしょう。
典侍は、こちらの貴公子とも当然のように枕を交わすことになります。
でも、本当は、「源氏の君のつれなさを埋める慰めに」と思って逢っているのです。
本当に逢いたいのはあの方だけだと思っています。
困ったお好みです。
📌 関係はどこで?
実事の描写が曖昧なので、源氏と典侍の関係が始まったタイミングは、あまりはっきりとはわからないのですが。
前段に、
好奇心からちょっと戯れかかってみたら、老いたる我が身も弁えず戯れ返してきたから、ちょっと興味を惹かれて、
ものなどのたまひてけれど、
噂になったら困るからつれなくしている
とありました。
(📖 あさましと思しながら さすがにかかるも をかしうて ものなどのたまひてけれど 人の漏り聞かむも 古めかしきほどなれば つれなくもてなしたまへる)
前後関係から言えば、ものなどのたまったとは、関係した、と言っていることなのでしょうか。
のたまふに見ると同じような用法があるのでしょうか。
何日後のことかわかりませんが、帝の御整髪の時に、典侍がいつもよりも綺麗にして艶っぽくなっているという短い描写は、何かリアルでぞくっとするところがあります。
典侍さん、浮き立っちゃってます。
それを見た若い源氏がうんざりする描写も、可笑しくもリアルな気がします。
でも、それで終わらず、このお婆さんはどういうつもりなんだろうと、もっと知りたくなっちゃって裳裾を引いちゃうというところが凄いです。
源氏の探求心が凄いのか、それをさせる典侍の ‘’実力‘’ が凄いのか。
源氏が裳裾を引っ張ったら、振り返った流し目の目元に老いが目立ってなかなかのことになっていた、というところでも、源氏は退却しません。
それからまあまあ際どい歌の遣り取りをします。
この遊戯感を優雅というのでしょうか。
虚実皮膜の芸の世界みたいです。
老女への嫌悪感からつれなくしている、ではなくて、こんな老女との関係が ‘’人の噂になったら困る‘’ からつれなくしている、と書いてあります。
さすがにめんどくさくなった源氏が立って行こうとしますが、典侍は、袖を掴んで、こんな辛いことはありませんと泣きます。
そこを帝と御付きの何人かに見られて、それから頭中将まで噂が届いたということらしいのですが。
まさか帝が御梳櫛された朝の清涼殿で何か実事があって帝がご覧ぜられたなどということではないのでしょうから、
典侍の恨み言がいかにも、ただの世間話ではなく、デキてる感というのか、何となく狎れたような感じが漂っていたということなのでしょうか。
その愁嘆場を見られて、特に帝の御口留めもなかったので、御側付きの口からあっという間に宮廷中の噂になっちゃって、
そうすると、もはや公認の仲、ということにでもなるのでしょうか。
年寄りで 可哀想だし 慰めてやろう とは思うものの、億劫でつい延び延びになってしまったという描写がこの後に出て来ます。
頭中将は源氏への競争心と好色な老女への好奇心で典侍に言い寄り、
典侍も、とりあえず頭中将で我慢しとくけど、ほんとは源氏君がいいのよと思いながら関係しているようです。
なんか、凄いです…。
🌺 老いらくの恋 万葉集
📖 古りにし嫗にしてや かくばかり 恋に沈まむ 手童の如
この年老いた私が幼い子供のように恋に沈んでいる
石川郎女という人の歌だそうです。
多分恋多き人。
歌の上だけの遊戯という可能性もあったのかどうか。
万葉集の時代の恋の常識がわかりませんが、石川郎女は、草壁皇子と大津皇子両方の愛人で、
大伴田主は、『容姿佳艶、風流秀絶、見る人聞く者、歎息せざることなし』という人で、
古りにし嫗にしてやの歌は、 大伴宿奈麻呂に向けた相聞の歌なのだそうです。
あまりにも恋多き人なので遊女ではないかという説もあったけれど、
今は、出身は、倉山田石川麻呂に繋がる石川家で、安麻呂亡き後の大伴家の女総帥であったと言われているそうです。
🌺 老いらくの恋 伊勢物語
📖 百年に一年たらぬつくも髪 我を恋ふらし面影に見ゆ
白髪の老女が私に恋しているらしい。その人の幻が見える。
業平です。
恋を求める女がいて、何とか情けある男に出会いたいと願って、息子たちに嘘の夢の話をした。
親孝行な三男だけが母の願いを叶えてやりたいと思って、狩に出ている業平に行き遭って母親の話をする。
同情した業平は、女の家に行って共寝してやった。
でも、一夜限りでその後は来てくれないので、女は業平の家まで行って、恋しい男を覗いている。
業平は、白髪の女が私を恋うているらしく、その人の幻が見える、そんなに恋しがっているなら行ってやろうか、と独り言つ。
女は大喜びで、焦って茨やカラタチに刺されながら急いで帰る。
帰り着いて寝ていると、業平が来て女を覗く。
女は、
📖 さむしろに 衣かたしき 今宵もや 恋しき人に あはでのみ寝む
今宵も恋しい人は来てくれない。今宵も一人侘しく寝るのか。
と嘆いて寝入る。
業平は憐れんで、その夜も共寝してやった。
… という話が、業平はこんないい男です、という文脈で語られているのかもしれません。
これが、色好みの理想形ということだったのでしょうか。
老女にも優しい男こそエレガントである、という思想があったのでしょうか。
源典侍のアバンチュールは唐突でもなく、文学の中で認知されている形だったのでしょうか。
九十九髪と付喪神の音が同じ つくもがみ だということに意味はあったのでしょうか。
九十九歳を白寿というように九十九髪とは白髪のことのようなのですが、
年月を経た物に精霊が宿るという付喪神のように、老女にはある種の値打ちが宿るという何か共通認識のようなものがあったのでしょうか。
老人が若い娘を買うのと同じように老女が若い男をお金や権力で買う、という西洋的な関係とは違う、何かいたわりにも似た感覚が1000年前の日本のダンディズムにはあったのでしょうか。
眞斗通つぐ美
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