脱炭素社会実現に向けた取り組みへの悩み
脱炭素社会実現に向け、古い電化製品をエコ家電(省エネ家電)に買い替えましょう! という話を聞く機会があった。地球に優しく節約にもなる、と良いことだらけなのだが、悩ましく感じる部分が少しある。
そもそも要らないのでは? と疑問に思ったのだ。
たとえば冷蔵庫。自炊をしない単身者であれば持っていなくても良い気がする。食事は外食あるいはコンビニ等の弁当で済ませ、飲み物は自販機で購入するのだ。夜に店が開いていなかった昔ならともかく、今なら何とかなるように思う。
テレビもそうだ。情報はスマホで充分だろう。
洗濯機はコインランドリーを利用する。
照明はあった方が便利で安全だ。しかし暗くなったら基本は寝る、の意識で対応する。
エアコンは悩ましい。あると快適なのは事実だ。だが、居住地によっては短期間の使用で済む。夏でも涼しい寒冷地なら不要という感じがしなくもない。むしろ冷房より暖房が必需品となるだろう。
給湯設備はエコのために投資が必要となるかもしれない。真夏の冷水シャワーは快適だけれども、人によっては嫌に思うだろうから。
他にも節約が難しいものはある。自動車だ。エコな運転を心掛けているつもりだが「機械に頼るな、歩け走れ、買い物は自分で担げ、担げないものは最初から買うな、環境負荷を考えろボケ」と地球が私に怒っている気がしてならないのだ。
未来のためにできることを考えすぎるから、そんな声が聞こえるようになったのだ、と人は私を嘲笑う。
しかし、未来のためにできることを考えすぎて何が悪いのか。正しいのは私なのだ。お前らも私を見習って未来のためにできることを考えろよ! と説教してやりたいところである。
私のように地球からのメッセージを人類全体が聞くようになったら、脱炭素社会実現は目前だと思う。それでも、まだ努力が足りない気がする。例えば、我々の体内に炭素があるのは問題だ。これを同じ第十四族元素のケイ素に置き換えてはどうだろう? 死後に自分の遺体から炭素が排出されないと分かっていれば、心穏やかに成仏できそうな予感が、しなくもない。
そんなことを書き連ね、気が付いた。
この文章が未来のためになっているとは思えない。ただ単に電気を浪費しサーバーに負担をかけているだけなのではないか、と思い至ったのである。
だが枯れ木も山の賑わいと言うし、ちょうど千字なので、ここで筆を措く。