672年の特殊軍事作戦または戦争
京都の人間は冷酷だとか残忍だとか、とにかく性格の悪さばかりクローズアップされるきらいがあるけれど、全員が性悪なわけではないし、京の都が太古から邪悪な輩の巣窟だったわけでもない。京の都と呼ばれる以前、即ち平安京となるより昔の時代は、それほどでもなかった。たとえば壬申の乱に敗れて近江から逃げてきた大友皇子(1870年つまり明治3年に漢風諡号弘文天皇を贈られる)を保護しているほどである。とはいえ純粋な善意だけで匿ったとは言い難い。下心はある。乱の勝利者である大海人皇子が即位して天武天皇となると、これに忠誠を誓ったが、好機が来れば大友皇子を押し立てて謀反を起こしてやろう! みたいな山っ気はあったのだ。そんな図太い野心を庇護した大友皇子に対し大っぴらしたかどうかは明らかでない。それでも、大友皇子と関係を持つことは自分たちの一族に利益となるのだ、といって不安のあまり疑心暗鬼に陥った流浪の皇子を安堵はさせただろう。この当時、京都盆地を勢力下に置いていたのは渡来系の一族だった。優れた土木技術や機織りの技能で重用されてはいるものの、何らかの情勢変化で迫害される危険はある。叔父に権力を奪われたとはいえ近江朝の後継者だった大友皇子の血を一族に加えることは、危険もあるけどメリットも大いにあると判断したのだろう。
個人的にはデメリットの方が遥かに大きいような気がする。天武天皇にしてみれば大友皇子を生かしておくわけにはいかない。それを匿うなど以ての外なわけで、そんな危険を冒すのは絶対に御免被るっす! と私だったら考える。しかし天智系の光仁天皇が後に即位したことを思えば、何ともなさそうな気がしなくもない。そうしてみると京都近郊の隠れ里で土地の古老から聞いた胡散臭い伝承つまり桓武天皇の母、高野新笠(たかののにいかさ)の父方は百済(くだら)系渡来氏族だが、そこに大友皇子の血が入っているという話も本当に思えてくるから不思議だ。
それでも別の古老が語っていた、大友皇子の子孫が大江山の鬼になったとか土蜘蛛の子孫と同化したとかいう話は信じ難い。武漢で新型コロナウイルスの蔓延防止対策に従事していた保健当局者が私に言ったように、大友皇子の子孫とされる人物が大陸へ渡り皇帝に仕えて出世したとの記録も何かの間違いではないかと思われる。その一族が西方へ移動し黒海北岸のハザール王国へ渡ったというクリミア汗国の年代記も本物なのか、私には分からない。
だが、分かったことがある。新型コロナウイルスと現在の黒海北岸地域にある国名を入力すると『「(三文字の国名)」「(五文字の国名)」に関係する内容の可能性がある記事です。』という表示が出る。国名を入力しないと、表示されるのは『新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。』という文章である。両方の注意書きが同時に出ることはない。両者とも現在進行形の災厄だが、黒海北岸で発生している戦争に関する記述があると、新型コロナウイルスに関しての警告が為されないのは、どういう仕様なのか? その基準が知りたいけれど、知ったところで何がどうなるわけでもないだろう。ともあれ、二つの表記を同時に出したかったのに、とても残念だ。残念なことは他にもあって、大友皇子に関係した話を書こうと思ったが、眠くなってきたのと、腰が痛くなってきたのと、パソコンの調子が悪くなってきたという三つの理由から、ここで中断することとなった。やらなきゃならんことがいっぱいあって、続きを書けるのか、書くとしてもいつになるのか、さっぱり分からないけれど、次は新型コロナウイルスに関する注意書きと黒海北岸の戦争に関する但し書き以外の警告が出せるよう頑張りたい(何だそれ)。
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