「いっすーくるま」です。独立へのスタート編②
昭和55年4月よりコックとして現場に入った私は、独立へのスタートが、1年も遅れていたため、それを取り戻さなけれなりません。新しい料理、調理法などを知ると、その場で、また、その合間に、必ずメモに取って復讐する習慣を身に付けました。月日が経つと、サラダ場での担当も、仕入れから、仕込み、タルタルソース、ステーキジャポネ用のソースの製作と仕事も増えていきました。ある日、私は、ランチに使うサイドサラダを60個造って冷蔵庫へ保存して置きました。午前10時過ぎにチーフが、調理場へ顔を見せたのです。「おはようございます」の挨拶です。サービス業の挨拶は、夜でもその日初めて会った時は、「おはようございます」でした。私は、野球部だったので声が、大きな方です。誰よりも大きな声を出していました。この日、チーフは、サラダ場で仕込みをしている私の方へ、真っ直ぐに歩いて来ました。そして、私の右側にあるサラダ場のゴミ箱を、両手で漁り始めたのです。
(チーフは?この人は、サラダ場のゴミ箱を、漁って一体何をしているんだ?)
私は、横目でチーフを見ながら、黙って仕込みをして居りました。暫くすると、チーフが私の名前を呼んだのです。そちらへ、顔を向けると、なんと!レタスの切れ端を持っていたのです。
「これは、腐ってないぞ。サイドサラダに使える物だろ。コスト意識を持たないとダメだろ」
「はい、申し訳ありません。以後、気を付けます。」
私は、そう答えながら、(アッチャー、ゴミ箱まで漁るのかよ。メッチャ、神経質な人だな)とムッとしていました。いつもの様に、11時を過ぎると、レストランのオーダーが入り始めたのです。それに従って、私も含め、6人のコックは、忙しく動き始めたのでした。午後1時を過ぎると、オーダーの数が減ってまいります。この日は、明日の仕込みも無かったので、午後2時から1時間の休憩を頂き、喫茶店でコーヒーを飲みながら、午前中にチーフより言われた「コスト意識を持たないとダメだぞ」との言葉を、手帳へ書き込んでいました。(しかし、ゴミ箱まで漁って、まだ使えるレタスを見つけるなんてビックリだぜ)と始めチーフを、嫌な奴と考えた私でしたが、メモをしてるうちに、違った思いが浮かび上がったのです。
(ちょっと待てよ。俺は、独立を目指している。自分が、経営者になったら、当然、利益を追求する。その時に、コスト意識が無ければ店は潰れる。)まだ、小僧の自分に、わざわざゴミ箱まで漁って、コスト意識を教えてくれたチーフに、感謝の思いが沸き上がりました。その時、私は、コスト意識と書いたメモに☆印を書き込んだのです。休憩を終えて調理場へ戻った私は、(ありがとうございました)心で叫んで、チーフへ頭を下げて居りました。また、洋食部では、月に1度、会員制のグルメの会を開催してました。料理に詳しい方々の集まりです。普通のフランス料理ではなく、高価な珍しい料理を振る舞う必要がありました。この日、明日のグルメの会への仕込みは、午後10時以降からになったのです。この日は、駅前のサウナへ泊まる事が決まって居りました。午後11時、明日のアントレとなるホロホロ鳥を、包丁で捌いている時、私は、チーフへ質問したのです。
「チーフ、ホロホロ鳥は、ホロホロと鳴くからホロホロ鳥と言われるんですかね?」
全員が、爆笑してました。チーフの答えです。
「この鳥は、生贄にされた鳥らしい。やっぱり、ホロホロと鳴くらしいよ」
私は、(生贄にされて、ホロホロと悲しく鳴いてるんだ)と思いましたが、口には出しませんでした。この日、深夜1時に仕込みを終えて、サウナに泊まりました。また、こんな事もありました。ある朝、キャベツをコールスローに切っている時、私の名前が呼ばれました。「はい」と返事をして、そちらに目を向けて話していると左手の中指に、包丁が当たった感じがしたのです。切れる包丁なので痛くなかったのですが、中指の左側がバックリ切れていました。キャベツのコールスローへ、血が滴り落ちました。なんと、キャベツが、アカベツに変化して居りました。この日は、カットバンを二重に巻いて指サックをして仕事を続けました。調理場にも慣れてくると、私は、持ち前の明朗さを、発揮して参ります。しかし、忘れてはいけない言葉がありました。「冒険は終わり、確実に1歩ずつ前進」 この辺で失礼します。