自分史②〜幼少期〜
自分の半生を振り返ることで自分を癒すために書いています。
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【幼少期②】家族とか習い事とか
幼少期の写真を見るともんちっちみたいだ。ショートカットで、眉のだいぶ上に前髪がある。これは、母が切ってくれていたからで、切っているうちにどんどん短くなっていったそう。
もっと可愛くしてくれてたらよかったのに、と思うけど、性格は男まさりで活発な子だったようだから仕方ない。
ところで、私は大家族の中で育った。祖父母の他に、叔母も同じ家に住んでいて、私は3人きょうだい。2歳まではひいおばあちゃんも住んでいた。父は大学を卒業したばかりなので、お金がなかったのだ。母は遠い県から嫁いできた。さらに同居で、大変だったと思う。祖父は小学校の校長先生だった。ピアノが好きでよく弾いていたので、その影響で私も保育園の頃からピアノを習い始めた。水泳は3歳になる前からやっていた。ピアノは芽が出なかったけど、水泳はそこそこ上達し、後に大会に出たりもしていた。でも、水泳も、ピアノも、実はそれほど好きではなかった。ピアノがある日も水泳がある日も、どちらも憂鬱だった。ピアノは木曜日だったので、私の中の木曜日のイメージは、しばらくどんより曇った色だった。
でも、行きたくないとか、辞めたいとか、嫌だと言ったことは、おそらくほとんどない。言っても無駄だとおもっていたのかもしれないし、言おうとおもったこともなかった。結果的に、特に水泳は得意になったのでよかったけれど。わりと健康でいられたのも水泳のおかげかもしれない。今でも、嫌なものは嫌、とはっきり言える人(うちの子供たちも含む)は、羨ましくもある。その頃の自分には、よく頑張ったねと褒めてあげたい。
あ、でも思い出したことがある。一度だけ、水泳のレッスン中に逃げ出そうとしたことがあった笑
プールサイドで泣きながら先生から逃げていた記憶が。見学していた母は青ざめていたことでしょう。
その代わり好きだったのは、1人で本を読んだり、絵を描いたりすることだった気がする。友達と遊ぶのも好きだけど、1人の世界にいることも好きだった。2歳の頃妹が生まれ、ストレスから自家中毒という病気になり、死にかけたこともあったらしい。そんなにストレスだったのか…
3歳のころ、三輪車で演歌を歌いながら迷子になったこともあるらしい。これは今でも我ながら面白エピソードだなと思っている。
③につづきます。