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豆腐屋さんの思い出

今、土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を読んでいます。
ずっと気になっていた本で、タイトルや要約を読んで「一汁一菜でもいいんだ♪」と勝手に気が楽になっていたのですが、ちゃんと読んでみようと思い手に取りました。感想はまた書いていきますが、その中に豆腐屋さんの描写があったのでものすごく懐かしくなりました。

夕方、チリンチリンという鐘の音が聞こえたら、ボウルを持って豆腐を買いに行きました。豆腐は、きれいな水に放たれていて、角がきりっと立っていました。
(中略)
豆腐屋さんでは、角が崩れた豆腐は売り物になりません。角が落ちれば半値にもならないのです。だから、貧しい家の子が豆腐を買いに来たとき、豆腐屋さんはわざと角を崩して、売り物にならなくして持たせたという人情話もありました。

「一汁一菜でよいという提案」土井善晴


土井善晴さんは私より20歳以上年上ですが、私が子供の頃も、豆腐屋さんが売りにくるという光景がありました。

チリンチリン、ではなく、プー、プーという音が聞こえたら、「お豆腐屋さんが来たね!」と。母からボウルを渡されて、玄関の外へ。豆腐屋のおじちゃんに、「やっこください」と言うと、水の中からおじさんがすくって切って渡してくれました。当時、百円もしなかったんじゃないかなと思います。

その光景は今でもよく覚えています。
子供ながらに、ワクワクしていたのだと思います。おじさんと触れ合えることも。ボウルに入れられる綺麗なお豆腐も。そして家に帰って褒められることも。

いつしかお豆腐屋さんはこなくなりました。
友達のおじいちゃんだったので心配していたら、普通に歳をとって引退したとのことでした。

今はそんなふうに声を出して買い物をすることも少なくなりました。

昭和がどんどん遠くなっていく。

今の家の近くには商店街があるので、
なるべく買えるときは個人商店でおでんや焼き鳥を買うようにしています。

なくなってほしくない光景は、自分たちの手で残していきたいです。

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