MBA卒業しましたレポート⑧:So What?(で、何?)
こんにちは。今年もあと50日を切りましたね。
ずいぶん寒くなってきて完全に冬だなあという気候ですが、恐ろしいことに冬本番はここからさらに6,7度は下がるんですよね…。
寒さは体調不良に直結しやすいから勘弁してほしい。
さて今回は、あともうちょっとで完結しそうなMBAレポートを書いていきます。
卒業式+αで完結と思ってますが、ちょっと今回では書ききれないかも。
書いてみて無理そうだったら分割しよう。
このペースなら12月にあと1回書けるでしょ。たぶん。
前回の記事はこちら↓
約2年ぶりの自由な土日
前回もちょっと書きましたが、単位を12月末までに取り終えてしまっていたのと、2月から転職先に移ることにしたので、最後の期(2024年1~3月)は講義を取らないことにしました。
講義を取らないと、当たり前ですが予習や講義への出席などが一切なくなるので、実に2年ぶりに土日が完全フリーになりました。
事実上3ヶ月前倒しで卒業したようなもん。
というか、よくよく思い返すと土日の大半が拘束されている生活を2年間続けたということなので、金以上に時間を投資してたんだなあ、と改めて思ったりもした。
今更休みといわれても
「約2年ぶりともなるとさぞ解放感があったんでしょ?」と思われたかもしれないが、ぶっちゃけると週末に2日もフリーな日があっても持て余すという感じであった。
1月はどのみち有休消化と引っ越しでバタバタしてたのであまり実感なかったけど、2月以降はどこかに出かけるとか、土日のうちどちらかは何かしら予定を入れるようになった。
意識的にそうしたつもりは無かったけど、まぁ身体が予定のある土日に慣れてしまったというのと、時間を余らせるのも嫌だというもったいない精神によるものだと思う。
その意味では、大学院に拘束され続けた結果、社会性(?)が向上したといえるかもしれない。
すごいぞ大学院。
そして卒業へ
そんなこんなで3月末になり、これで卒業ということになった。
標準的な履修ペースなら講義を取っているハズなので、こう、なんというか終わった感があるのかもしれないが、いかんせん最終期を空けていたせいで何一つ実感が湧かないという、なんとも締まりのない卒業であった。
なんかFacebookが卒業しました投稿で盛り上がってるな、というのではじめて「そういや卒業だ」と思ったくらい。
卒業式ってやつがあったな
実感もないけどなんか終わったっぽいし、本当の闘いはこれからだ!と思っていた4月の中旬ごろ、卒業式の案内がやってきた。
一般的な大学院がどういうものなのかはよく知らないが、自分が通ってたMBAの卒業式は5月の下旬にあるのだ。
この辺りがややこしいが、前回書いたとおり、元々いたクラス(所属校)を抜けて別のクラスに転入したことになっている(実態は無く幽霊状態)ので、卒業式の参加方法に選択肢がいくつかあった。
①何の関係もない東京校で卒業式に出る
②卒業式だけ転入先のクラスに突如現れる
③元々いたクラスの所属校で卒業式に出る
④卒業式を欠席する
とりあえず②は論外として、①を選んで知らない人たちと明るく楽しく卒業式を過ごせるほどの陽キャ力もない。
とすると、③か④かな、ということになる。
最初は④の欠席でいいでしょ、と思っていた。
交通費もかかるし、別に思い出作りをしたくて大学院に行ってたわけでもないし、何かの区切りという意味では転職で大きな区切りがついていたので、行くことで一区切りという感じでもないし…という感じで、あまり行く意義を見出せなかったのだ。
と思ったところで、もっと何か積極的に行く意義はないのかと改めて考えてみたところ、いくつか思い当たることがあった。
1つは所属校のスタッフ(社員)の皆さんへの挨拶。
元々いたクラスを抜ける説明は学校側へはしてきたものの、スタッフの皆さま一人ひとりにちゃんと挨拶をしたわけではなかった。
「経営学を修めたぜ~」と言っておきながら、その過程でお世話になった皆さまに挨拶のひとつもせずに卒業したことにするのは人としてどうなのか?という気がしてきた。
もう1つは、突然所属クラスから失踪して半年、卒業式に突然現れたらどんな反応をしてくるのか?これは面白そうだ、というとてもくだらない動機。
大人の対応をしてくるのか?目を逸らしてくるのか?根掘り葉掘り尋ねてくるのか?
いずれにせよ、人の本心的なところが見れそうな気がしたので、それを眺めに行くのもいいかと思っていた。
これだけ聞くと「どこまで人を虚仮にしてるんだ」と思われるかもしれない(自分が逆の立場ならそう思う)が、曲がりなりにも1年半は付き合ったんだから、卒業式に参上するくらいの権利はあるでしょうよ。
なにも悪事を働いたわけでも、働きに行くわけでもないのだ。
あとは、単純に人生で卒業式なんてさすがにもう次は無いだろうな、というもったいない精神ですかね。
やはりもったいない精神は何事にも勝る。
そんなわけで、元々所属していたクラスで参加することにした。
意外となんともない
会場に着いてみると、場が完全にテンションが上がっている感じになっていて、卒業式補正がかかってるなあという感じであった。
まぁ参加者が黙々と証書渡されるのを待ってるだけの卒業式とかホラーだしな…。
周りがどんな反応をするんだ?というところは、思ったよりどうということはなかった。
ふつうに雑談する感じの方が大半であった。
というか、同じ講義を取らない限り顔を合わせないという方も一定数いるので、突然失踪していたことも知らないんだろうなあという方もけっこういた。
なんというか、世の中こんなものかなという謎の達観に改めて至った気がした。
自身にとっては大きな決断・行動であったとしても、それは他人にとってはどこまで行っても他人事であって、実際、自身が思っているほど周りは(いい意味で)自身の行動に逐一興味を持ったりしないのだ。
あまり自意識過剰になっていても自分の首を絞めるだけである。
ただnoteが思ったよりも読まれていたのは笑っちゃった。
ハインリッヒの法則よろしく、Facebookにいいねを付ける人の裏には、多数の「別にいちいち反応したりはしないけど読んではいる」人がいるということを実感できたのは面白かった。
やはりソーシャルメディアに変なことを発信してはいけないということが分かりましたね。気を付けよう。
アカデミックガウンよりスーツでしょ
大学の卒業式といえばアカデミックガウンということで、案の定ガウンのレンタルサービスがあった。
ノータイムで「不要」にした。
別にケチったわけでもアカデミックガウンに積年の恨みがあったわけでもないけれど、講義を受けに行くときは一貫してスーツを着ていったので、卒業式だけなんの思い入れも無い謎のレンタル衣装を着るのもテンションが上がらなかった。
ちなみに講義にドレスコードがあるわけではないので、一貫してスーツを着る必要性は別に無い。
それでもスーツ着て行っていたのは、服装を考える手間が省けるというのもあるけど、このスーツ自体が、過去に商品として取引していたオーダースーツ屋さんで作ったもので、思い入れがそれなりにあったのだ。
ついでに言うと靴とシャツも商品として仕入れて売ってたものだ。
要は一番楽しく仕事してたときのアイテムだから身に着けていた、というだけのこと。
自分自身にしか理解できない意味なので、特に周りに説明はしていなかったけど、周りはなんか深遠な意味がありそうな感じに勝手に誤解してくれていたので、面白そうだったので適当にあしらっていた。
こう言うとハメているような感じでなんだが、なんにでも意味とロジックを見出そうとするのはMBAホルダーの悪い癖だと思う。
人間はそんなに合理的な生き物ではないぞ。
そう考えると、スーツで一貫させるのはメンテの手間等考えると非合理な面はあるけれど、自分自身をモチベートするという意味ではこの上なく合理的ではあった気がする。
というか、服装というわりとどうでもいいところで自分のご機嫌が取れていたというのはけっこう良い仕組みだったのかもしれない。
こういう自己暗示をかけるという手法も馬鹿にはならないかもしれないですね。たぶん。
成績優秀修了なんですって
ちょっと脱線しましたが、式では粛々とスーツで証書を受け取りました。
特に語ることもないかと思いきや、どうやら「成績優秀修了」というものの基準をクリアしていたらしく、なんか卒業証書+成績優秀修了の計2枚をいただけてお得な感じだった。
そういう制度の存在は知っていたものの、事前通知は特になかったので、卒業証書授与あるあるの名前を呼ばれるタイミングではじめて知った。
ちなみに副賞も別にない。「学長とランチに行けるらしい」という出自不明の噂がまことしやかに語られていたのを聞いたことがありますが、本当に副賞は無いです。
光栄だけどSo what?
「強い奴に会いに行く」を掲げて入学したら自分が強い奴認定されていたというギャグみたいな流れで、光栄ではあるというのが大前提だけれども、本質は(言葉が悪いけど)「講義をよく頑張ったで賞」であって、学生の実力をストレートに反映しているわけではないと思うので、もらったからって万歳三唱したくなるような感じでもないのだ。
自分は家庭があるわけでも、ワーク・ライフ・バランスがワーク・ワーク・ワークになるような環境下でもなく、投下できた時間数が単純に多かったので、ある意味コスト相応の結果でしかないのかな、というのが正直なところ。
MBAそのものもそうだけど、けっきょくは「So What?(だから何?)」というところがとても重要で、その答えは自分で勝手に決めるんだろうなあ、という気がしている。
そんな感じでどんな顔して受け取ったらいいんだろうなあと思っていたところ、別の成績優秀修了の方と話したときに「アベレージを高く保ったという結果であり、特に一度凡退した後にまたヒットを打ち続けるのは意外と難しいことで、そういった意味では自信として良いのではないか(意訳)」とおっしゃっていて「なるほどなあ」と思ったりもした。
うーん……まぁ……少なくとも成績目的で通っていたわけではないし、インプットだけでなくアウトプットしないと成績が上がらない仕組みにはなっていると思うので、ちゃんと真面目に鍛錬したという明瞭な証左という意味では、率直にありがたく受け止めておけばいいのかな。
「鍛錬したからといって使えるとは限らないぞ」というのは別の話で。
もったいない精神こそ最強
「これから大学院行くぜ!」とか「通ってるよ!」って人も一部いると思いますが、別に成績にこだわる必要はないけど、成績なんかどうでもいいやと放り投げるのはやめたほうがいいと思う。
周りを見ていると、人脈づくりを言い訳にして、講義を半ば放り投げてしまった人も実態として一定数はいたような印象がある。
それも戦略の一つという気もするけれど、講義と人脈づくりは別に競合しないので、可能な限り両立を目指せばよかったんじゃない?という気がしている。
放っておいても先生が面白い話をしてくれるので、その中でなんか面白い教訓の1つでも得られたら儲けものじゃん。
それに実際、大学までの自分の怠惰っぷりを顧みると「なんてもったいない時間の使い方をしていたんだ…授業中に寝るとか……」と思うし。
これは社会人になって「リスキリングしよう!」って勉強しはじめた人なら誰しも思ったことではなかろうか。
金は稼ぎ直せるが、時間はどうやっても取り戻せないのだ。
やはりもったいない精神……!もったいない精神が全てを解決する……!
おわりに(次回につづく)
卒業式周りだけですでに4,700字も書いてしまったので、総括みたいな内容は次回に回そうと思います。
感動の場面とかが別になかったので肩透かしだったかもしれないけれど、自分が感じたことを粉飾せずに率直に書くのがこのnoteの主題なので、まぁ現実こんなものかとライトに捉えていただければ。
今回は「もったいない精神が最強だった」だけ覚えておけばいいんじゃなかろうか。
では!