見出し画像

MBA卒業しましたレポート⑦:Life imitating art(2023年10~12月)

こんにちは。もう扇風機は片付けても良さそうな感じですね。
たぶんあと数週間で暖房器具が手放せなくなる気がする。

本日はというと、明日の大学のホームカミングデイゼミ総会に出るために名古屋へ行く必要があって、「どうせ行くなら旅行も兼ねたほうが交通費的にお得じゃん」ということで有休取って旅行に来ています。

大学に行くということで大学院レポートが未了だったのを思い出してしまったので、今回は大学院レポの続きを書いていこうと思います。
今回と次回(卒業式+総括)で完結予定です。なんとか年内に終わりそう。

↓前回の記事はこちら


所属してたクラスを抜けました

冒頭から一体何を言ってるんだという感じですが、このタイミングで所属していたクラスを抜けました。
(無所属は制度上無理だったらしいので、実際はどこかのクラスに幽霊生徒として転入したらしい。転入先がどういうクラスかは一切知らない)

これまで書いてきたとおり、別にクラスといってもその単位で講義を受けるわけではないので、実態としては課外活動の枠組みでしかないんですが、転居等も無いのにわざわざ抜ける意味不明な奴はそうそういないっぽい。

理由は学校へは全て説明していますが、それ以外では一切話してないですし、今後も話す気はありません。話さない理由も含めて。
一つ明らかな事実は、こういった特殊な措置を取らざるを得ないと学校側が認めるに足る理由があったということですかね。

1年半付き合った組織を抜けるのはどんな気持ち?

想像以上にどうも思わなかったです。
いや、ぶっちゃけ最初はもっと寂しい気持ちになるのかな、と思っていたんですが、実際に学校側へ説明して抜ける処理が完了したときに、自分ってこんなに冷たい奴だったんだなあとすら思いました。

というか、抜ける段になってはじめて「無理してたんだな」と気づかされたところはある。
元々「強い奴に会いに行く」を目的に勉強しに来ていた一方で、そうではないコミュニティに社交辞令的に付き合っていた、付き合ってみないとダメなんだという強迫観念みたいなものもあった。

「人脈を作ろう」「仲間を作ろう」と学校側が声高に叫んでいる中で、それになかなかノーと言えない、ノーと言うことは反逆に近いみたいな空気感が大学院の中にあって、けっきょくそこに抗えなかった部分は確かにあったと思う。

一方で、改めて今振り返ってみると、その辺りうまく付き合っていたり、上手に距離を取っているだろうなという人も大勢いた。
ご家庭があったり、会社で要職に就かれていたりする方ばかりなので、そもそもその辺りセルフマネジメントする能力が圧倒的に高いんだろう。
なんだろう……これが人生経験の差なのかもしれないな……。

ちょっと話が逸れましたが、ある程度長く付き合った組織を自分の意思で抜けるという経験は実はこれまであまり無かった。
抜けたところでどうってことないじゃん、別にそれは悪事を働いてるわけじゃないんだぜと気付けたことは、人生経験的にはすごく大きかった。
ある意味で転職の予行演習になった面もある。

というのと、1年半付き合ってみたからこそ、とりあえず「集まった人たちで『運命的な何かがある』ということにして仲良くしようぜ」っていう合コンスタイルは自分には全く合わないということが骨身に染みて理解できたのも、まぁこれはこれで社会勉強といえる。

むしろ戦う中で分かり合うバトル漫画スタイルのほうが自分向きである。
これもはっきり自覚できたのはとても大きい。かも。

真っさらないち個人として大阪へ

それはそれとして、興味のあった講義が大阪で開講されるということで、例によって大阪へ通っていました。
クラス開始時の自己紹介で

「所属校とは縁を切り、改めていち個人として0から学業に向き合うことにしました」

と言ったら「いやいや何言ってるんですか」と若干イジられましたが、ほんとうに文字通りの状況で。
色々、0から、飾らずに、本心でやろうと思ってました。

この時にちょうど前職で異動もあって、それを機に本腰入れて転職に動き出してもいて、正直めちゃくちゃメンタルは削られてて満身創痍で毎回やってたんですが、先生もクラスの皆さんも、なんというかめちゃくちゃ温かかったのが心底ありがたかった。
これがなかなかうまく言語化できないんですが…明るい組織と温かい組織の違いっていうんですかね。
互いに本心を出してて、その上で受容されるというか。

これは「無条件で肯定される」のとはまた違うんですよね。
無条件で「OK!」って言ってもらえるのは「無償の愛」的な感じでなんか良さげに見えますが、それって相手のことを全く理解しない、しようともしてないという面もあって、自分のような奴からすると居心地悪いところがあったりする。
まぁこればかりは性格とか相性とかもあるんだろう。

大学院ではけっきょく25クラスくらい受けましたが、そういう温かい空気感のあったクラスはここだけで、それがこのタイミングだったのは本当に運が良かったとしか言いようがない。

ついでにビジコンにも1年越しに噛みました

ついでと言ってはなんですが、このクラスに自分が前年度に本選に出たビジコンに本選出場することになった方がいらっしゃって、その方のチームの壁打ち相手をやらせていただきました。
「大阪のチームに与するとは謀反か」と言われそうですが、なんとこの時なぜかすでに無所属だったのでそんなの関係なかった。

↓ビジコン出たときの話はこちら

前に書いたとおり、自分が出たときには色々本筋と違うところで葛藤もあって、消化不良なところも正直あったので、その取り戻しの機会を偶然頂けたのは実はとても嬉しかった。
転職面接の想定QAを作るために有休取って1日スタバに引きこもってたのに、いつの間にかビジコンの壁打ちQAを作るのに8時間ぐらい使ってしまうような感じだった。これを世の中では「現実逃避」と言います

まぁ…クラスで一緒だった方以外の皆さんは、いきなり現れた謎の人からなぜかダメ出しされるという意味不明な状況だったと思いますが……というのと、正直役立ったかどうかは定かではないので、こう偉そうにnoteに書けるほどのことじゃねぇだろ、という気もしますが……。

ただ、0からやるぞと決めて臨んだクラスで、期せずして過去の後悔を取り戻すきっかけも頂けたのは、やっぱりなにかしらいい流れがあったのかな、と思っています。

意思を持って点を打ったほうが楽しいよね

12月には転職先を決めて、それに伴って東京に行くことになりました。
元々は1~3月もいくつか講義を取る予定だったんですが、講義を取らずに仕事へコミットすることにしました。

ふつうの受講ペースだと単位数の関係で1期空白にするのは難しかったんですが、なぜか4~6月に(行く義務はないのに)大阪に行って多めに講義を取っていたので、こういう柔軟な動き方ができた。本当世の中なにが効いてくるのか分からんものだな、と思いました。
これがConnecting the dotsだ!(適当)

一方でこれも都合のいいことに、講義では自分のやりたいこととか、今後のビジョンとかを整理して語るような機会もあったので、本当に色々と区切りをつけるのにいい経験をさせていただいた気がします。

2023年末の振り返りにも書いたんですが、自分はConnecting the dotsのような運命論・結果論的な考え方よりも、むしろLife imitating art(=人生は芸術を模倣する)というか、どんな絵を描きたいと思っているかで打てる点や見える絵が全然違うんだから、ちゃんと描きたい絵を持ったほうが楽しいよね、というほうが好みです。

テキトーに打った点でなにか絵が出てくるのもそれはそれで楽しそうですが、やっぱり「いい絵を描きたい」と思って点を打ったほうが、打ってるときも楽しいし、結果としてできた絵に対する腹落ち感が違うと思うんですよね。

そういった感覚も最後に体感できたのは貴重でした。

なんか終盤っぽい良いこと感が醸し出せましたね。よかったよかった。
あとLife imitating artは文学の世界ではこんな捉え方されてないので、オスカーワイルドに怒られるかもしれません。まぁいいか。

おわりに

そんなわけで「一体コイツは何を言ってるんだ」という感じだと思いますが、元々メモみたいなものなのでご容赦ください。

もっとこう「この講義内容が経営に活かせたぜ!」みたいなのはねぇのかとクレームが来そうですが、自分の専門領域的にはなかなか直結しないので、そういうエピソードはどうしても出てきにくいんですよね。
一方で、曲がりなりにも2年間インプットとアウトプットを継続する環境下にいれば、その過程で大抵は大なり小なり得られるものはあるんだろうとも思います。

ただ、それがMBAである必然性があるのか?というのは正直Noだとは思いますが。
すでにやりたいことがあるとか、社会でバリバリやっているという人が、そちらを抑えてまで絶対通るべき道ではないんだろうなあと思います。
現在の環境で十分に成長できて自分にフィットしているんだったら、わざわざ金と時間をかけて行く意味はないし、むしろ現在の環境にコミットしろよという話なので。

けっきょくのところ、必要だと思ったら使うオプションの1つでしかない気はします。
これは今後リスキリングがいかに流行ろうが変わらないでしょう。

次回は卒業式+αを書いて〆の予定なので、そこでもうちょい総括的なことは書こうと思います。そろそろ新幹線も来るので

では!

いいなと思ったら応援しよう!