ヒトリボシ (8)
あれだけしょっちゅう電話してきていた母からの電話も今は掛かって来なくなった。年を取ったとは言え、母は呆けてはいない。
こんな時こそ娘を思って、
「どうしてる?」
だろう。
自分の言いたいことだけ言えば、娘が言いたいことを言おうとした瞬間、電話を切る母。
母は頼んでもないことはせっせとし、頼んだことはいつも
「知らん」
「できん」
「ようせん」
の一点張り。
健一が病気になった時でさえ、母から慰められることはなかった。だから、母の前で泣くこともできず、独りで耐えるしかない。
若くして夫が病いに倒れた娘の気持ち等、母には想像することもできないのだろう。
親達はずっと自分の「都合」で自分の気の済むようにしていたわけで、娘の「都合」や「気持ち」まで考えてはいない。
ただ、そんな母でも私が跳ね飛ばして寝ている布団をきれいに掛け直してくれた。
その時の気持ちの良かったこと……
結婚してからは夫や娘達に布団を掛けることはあっても、掛けて貰ったことはない。自分で足で布団を引き寄せたり、手で手繰り寄せたりし、布団を掛けるしかない。
白い部屋で一人。
今まで手に入れたかった誰にも邪魔されない自由とはこんなに深い孤独とセットになっていたのか……
こうなったら、般若心経でも唱えてみようか。
何度か耳にしても、所々しか覚えていない般若心経。お経の内容を「有難うと言う意味」とザックリ理解している般若心経を唱えてもおかしくない年齢、状況に十分なっている。
「もっと朗らかに」
こんな声も聞こえて来た。
「笑うこともあるよ。声を上げて」
今では、ほぼ毎日取りに来るゴミの収集に合わせ、仕方なく起きるのがやっとで、そんな自分を鏡で見ては
「疲れてるなーー」
と感じる。
鏡に映る私の顔は左右の眉の高さが違う。右の眉の方が左より下がっている。
二十代の頃はこんなことはなかった。この右の眉の上には四人の親が乗っている。親に余計な干渉をされる度に右眉の上がキュッキュッと窪み、私の右眉はどんどん押し下げられていった。
そんな私の顔を見、父が
「順子は更年期ちゅう顔しとるなぁ」
と。
「はあ?」
皆、他人の顔は見られても、自分の顔は見えない。
病気してから元気な時の顔とすっかり変わってしまった健一の顔を見ては嘆いていたが、私には自分の鬼の形相や醜さが見えない。 否、見たくない。
「栄養のあるもの食べている?」
また声が聞こえた。
健一の病気以来、料理なんて名乗れる物は作れてない。それでも、在宅介護していた時は頭を捻り、毎日、おかずを作っていた。
一人となった今はたった一人分なのに、お茶を沸かすのも米を洗うのも面倒で、おかずも同じようなものになる。
そして、餅に餡子をつけて食べるのが糖分を気にしながらも、美味しく、餅米の粘りでもなければ、日々やり過ごせない。
「本当、一人でよく居るね」
感心しているのか、呆れているのか、色んな声が白い部屋のあちこちから聞こえてくる。
今まで健一の横で添い寝してきたが、今はあのうるさいイビキを聞くこともなく、一人寝る。施設に入居する前に健一のイビキを録音した。
「もう聞くことはないのかも……」
と思って。
うるさいけれど、懐かしく、ホッと安心できた健一のイビキ。けれど、録音したイビキを再生することができない。聞くと、胸が張り裂けそうで。
夜、一人で寝る部屋に小さなヤモリが出た。
虫の苦手な私だが、ヤモリは怖くない。
私はヤモリに話しかけた。
「家、守ってくれてるん? 有難う」
と。
私にはそのヤモリが可愛く、頼もしく、愛おしく思えた。
「人生は何歳からでもやり直せる。」
「本当に?」
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