「即身仏」とは
今回も個人的な意見であり、学術的な裏付けなど一切ありませんので、予め御了承下さい。
主に東北地方で、「即身仏」というミイラへの信仰があるそうですが、
これと密教の「即身成仏」は関係はどうなるのか、についてです。
まず、少なくとも中期の密教教学では、つまり日本に伝来した真言密教教学では、
少なくとも自分が教えて貰った限りで、ですが、ミイラ化した遺体を拝むというのは有り得ない話でした。
しかし、弘法大師の空海さんも「入定」して、噂ではミイラ化して拝まれているとも伝えられてます。
では、ミイラ化するのは「失われた教えなのか?」となりますが、
しかし、空海さんの密教の師匠である中国の慧果和尚さんは、普通に亡くなられて葬儀をした、と教わりましたので、別の信仰に由来したものだと考えてます。
実は、自分は昔、単純に、日本にはそんな信仰があった、と推測してましたが、
最近wikiを見たら、中国にも肉身菩薩というものが有る、との事。
しかし、繰り返しますが、仏教では、そんな教えではないのです。
インドでは、苦行するヨギなど昔から居ますが、その遺体を拝む文化ではなく、
釈尊は火葬して分骨、また、現代でもガンジス川の側で火葬し、それが経済的に出来ない方はそのまま流す、という文化です。
つまり、恐らくは中国由来でしょう。
では、昔の中国では遺体をどのように扱ったか。
日本と違って、遺体を掘り起こして侮辱するような事も普通にあるらしいです。
また、道教の教えには、仙人の一種として死後に遺体が消える「尸解」というのがあります。
また、こうした昔の中国の宗教は、かなり早くに日本にも伝来してました。
古事記日本書紀にも、易経などの影響が見られるという話も、マニアの方ならご存知かと思います。
この中国から輸入された思想は、少なくとも江戸時代には日本中に浸透していて、現在でも各地に残る「庚申」と記された石碑が見られます。
「庚申待ち」という風習は、元は中国の宗教行事で、身体の中に「三尸」という虫が天に報告に行くのを防ぐ為に、徹夜で宴会のような事をする、という集会の事だそうです。
この思想のベースにも魂魄説があります。
ウロ覚えですが、たしか老子などでもこの魂魄の記述があったかと思いますし、易経の易伝、本文の後に書いて色々と書いてある所には、「魂魄」の文字が数ヶ所あります。
流れとしては、陰陽思想が先で死後の霊に対しても用いられて魂魄説と成ったのかなと思います。
あと、中国では天帝という神様的なモノを頂点に様々な役職があるとされ、今でも中国では紙のお金などを燃やして天に賄賂を送るという風習があると聞きます。
先の三尸というのも、天の役人に報告するという設定だそうです。
こうした背景で、恐らくは「即身仏」や「肉受菩薩」という信仰が起きたかと思います。
「輪廻転生」からではないかという話もあるでしょうが、その場合、輪廻する「魂」を遺体に封じ込める儀式が伴うはずですが、少なくとも日本の「即身仏」ではそのような儀式は無いと聞きます。
地下で断食して、亡くなった後に掘り起こして祀られる訳ですから、その後で何らかの儀式をしても遅い筈ですので。
恐らくは、先に上げた「尸解」という道教の信仰が仏教に取り入れられ、聖者とされた高僧の遺体を確認するという風習が先行してあり、その後に遺体を祀るという風に変わったのでないかと思います。
中国でも日本でも、道教と仏教というのは民間では混交して広められたようで、昔の中国では道教と仏教が組織的には対立もしてましたが、一方では空と玄が同じとされたり、老子と釈尊が同一視されたりしました。
更に日本では神道とも混ざり、神仙という呼称の一般化や、「死後は仏様」というのも神道の「死後は氏神様になる」という信仰と混ざったものだと思われますし、「八幡様」も八幡大菩薩となります。
有名な「久米の仙人」さんも、伝承では「久米寺の開祖」と言われます。
真言宗との関係が深い修験道では、「九字」という術がありますが、あの「臨兵闘者…」という言葉は抱扑子に由来するそうで、これは道教の道士の著書です。
あと、仏教寺院の一部でも使われる「呪符」もやはり道教由来です。
また、密教寺院などで北斗供というのが行われますが、これも道教の北斗信仰が由来だとする説があります。
こうした過去の上で、仏教の一部でのミイラ化した遺体の崇拝、
つまり、仏教教学的になら既に故人は輪廻して脱け殻である筈の遺体を仏像に見立てて礼拝する、事に成ったかと思います。
髙野の伝承では、五十六億七千万年後に云々という下生信仰を弘法大師もしてて、それで弥勒菩薩と共に下生する、となってるそうですが、
この場合、密教の継承者である筈の弘法大師が弥勒菩薩も信仰してたという話になり、個人的にはとても奇妙な話だと思います。
繰り返しますが、仏教の教学的には、ミイラへの信仰は有り得ませんので。
ひょっとしたら、晩年にそうした思想に傾倒した可能性もあるのかも知れませんが、伝承では、中々気の強い方に思えますので、それもどうかと思います。
また、別の可能性としては、サヴァン症候群のような特殊能力持ちで、密教への信仰よりも死後の恐怖が強かったかも、とも思いますが、それなら朝廷との交渉や様々な社会活動に支障が無いとおかしいように思えます。
また別の可能性として、本人の意思ではなく、周囲の誰かの思惑でミイラ化された、という事も考えられますが、これも周囲は真言宗開祖の弟子達だけなので、あり得ないでしょう。
結論としては、何故、彼が奥の院で祀られたのか、自分には理解出来ません。
強いて考えるなら、弘法大師本人は何らかの障害持ちで、優秀なブレーンがいたのでは、となります。
兎も角、この弘法大師の入定が東北には「上人はミイラ化して拝むもの」として伝わったのではないかと考えてます。
日本の風土的には、古墳時代やそれ以前から土葬が貴人の埋葬として一般的で、貝塚からも遺体が見つかってるようですが、ミイラへの信仰は、貴人の霊的な力を現世に留める「呪術」ですので、埋葬とは考えが根本から違うかと思えます。
そして、先にも挙げましたが、日本の「呪術」は基本的には道教の影響が強いかと思われます。
神道の「呪術」でも、
失伝した十種の神宝は鏡と太刀と玉と比礼だったと伝わってますが、三種の神器のそれとは別に「比礼」という布が三種あったとされます。
当時は紙はなく、恐らくは布を呪符として用いたかと思いますが、これも多分道教由来かと思います。
銅鐸が、何らかの宗教的な変容と共に廃れたように、
道教から取り入れられて、一時的に広まっていた「神宝」としての「比礼」も三種の神器選定の頃には廃れたのだろう、と考えてます。
恐らくは大半の日本人は、「日本のミイラ信仰」に驚きと不気味さを感じるかと思いますが、「信仰」ではなく、このような昔の「呪術」として見たなら、犬神や蠱毒などを知る方なら、まず納得されるかと思われます。
それが、時代が下ると共に、単なる崇拝対象として受け継がれるようになったのではないか、というのが自分の結論です。