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非世代性概論
働くということは辛いことである、この言葉はとりわけ自分のしたいことを我慢して働いてきた人間に語られてきた。
しかしなぜ、自分のしたいことをやらなかったのだろう。
そうした人間は自身の子どもに自己実現を転嫁した。そしてその子どもが社交不安になった。
そしてその子どもが社交不安により働けなくなって、その子どもは働くことは辛いことである、という認識を強めてしまった。
これが隔絶された世代性のない人間の、古今東西の遺伝である。
隔絶された世代性、ここでは非世代性と言う。
非世代性のやることはただ一つ、「歴史は繰り返す」
じゃあその子どもが働ける、ようになれば、非世代性から脱却できるということか。
それは心身的な苦痛を伴わない、という意味で。
ということで私がやる学問は、非世代性からの脱却、繰り返す歴史の終止符である。
では心身的な苦痛を伴わないで社会適合するためにはどうすればいいだろう。
一つは社会適合とは何か、をその子ども自身が明確に知ること、そしてそれを教える理論あるいは優れた分類表を生み出した先人に出会うこと、だ。
私個人の経験で甚だ申し訳ないが、心身的苦痛の伴わない働き方は①自分の力に合っていること②業務が明確化されていること③働く人間が比較的大人(最低限でも害のない非世代性であること)である。
そしてポイントは働き始めは"すべてが苦難"であるということ、ここで起きる失敗はある意味当然の、"なるべくしてなった誰にも責められない勇断"であり、ここで自己の無価値観が高まるが、それは当然の成り行きということ、
その途中には一旦働くことへの「志」を捨て、逃げるような仕事ーただ時間を過ぎるのを待つーをしてもいいということ。
それには決定的な理由があり、"長く続けること"がだいたいすべてを解決するからである。
こうして最初の最もきつい"一ヶ月"を乗り越えることができれば、次第に逃げの仕事が積極的な仕事になる、ということも望めるだろう。
積極的な仕事まで来れば、最早それは非世代性からの一つの脱却である。もちろんそれが優越感からくる他者への"教化"あるいは"コントロール"の仕事であるのなら、非世代性からはまだ抜け出ていないが。
しかし君はもう抜け出す。抜け出す近くにいない人がこれを読めるか。
ここに私の生きる意味もある。
それに、まだ私たちには時間がある。私は齢22だが、君はもっと若かろう。
私の視認では50代60代で非世代性である。
そしてその人間が大多数。
そして私の経験則では、
時間は思ったよりも長い。
もう昔から何度も言ってきていることであるが、
この時間は主観が180°変わる可能性を秘めた時間である。
180°というと平面上で体勢を真逆にしただけと捉えられるかもしれないがこれは立体である。
180°変化すると同時にひとつ高次の段階に進むということだ。
ちなみにまた私の経験で恐縮だが、私は17から21までの4年間で3変化を経験した。
無論思春期のその時間の過密度があるのだから、その変化のしやすさ、は高いとは言えるが、
結局君もまだ青年期なのだし、30代でだって青年期は往々にして当てはめられるので、君の主観は変化する。
変化しないほうが至難である。
逆に言えば変化しない、これが非世代性である。
世代性からの隔絶である。
私はこれを永遠の狭間(えいえんのはざま)と名づける。
永遠の狭間=非世代性である。それは極に行き過ぎることがなく、結局アウフヘーベンしないことを指す。
もちろんこれで他者にも迷惑をかけていないのなら、「ただ優しい人」で済ませられるだろうが、
残念ながらこの永遠の狭間にいる人間から多くの毒・害が生まれている。
まあでも流転変化する生成の流れを、ただずっと阻害し続けているのだから、これも当然と言えば当然だが。
ここに自省の針を向けるのが求道である。
しかし求道をする者はいない。
故に君の邪魔をする者はいない。
話は長くなってしまったが、この「歴史は繰り返す」から抜け出す君の人生を、
私は応援しているよ。