おばあちゃん お父さん
ばあちゃんはいつもどこか遠くを見るような目をしており、時としてばあちゃんがよく語るのは「自分が辛いとき、誰も助けてくれなかった」ということを語ります。
父はいつも不満そうな顔をしており、そしてばあちゃんと話す時はいつも喧嘩口調です。おそらくばあちゃん(母)をどこかで恨んでいるのだと思います。
というのもばあちゃんも父親も、「過去に生き」ており、私に何者かになれ、と言ってきました。父に至っては私の気持ちなどは見ておらず、おそらく私が世俗的に成功するかどうかだけを見ています。そうすれば自分が我慢してまで働いて作ったこの自己実現願望機が、見事に役割を果たした、ということになるからです。
22年、私は自己実現を転嫁(てんか)されていました。簡単に言えば「俺の夢を、お前が叶えろ」そういうことです。
そうして私は精神障害になりました。躁鬱を患い、その根本病理を文学的に表現したことがありますが、それは母の怒りと父の期待が心の底からエネルギーを盛り返して、私の精神が狂ったもの、と結論つけています。
要は私が自殺未遂したのはあなたたちが怒り、期待したからです。それだけです。
でもそれをいう時期はもっと後だ、と思い、私は何も言わずにいます。それ以降二度目の鬱を患いますが、何も言わないでいます。
母の心のメモリの1メモリが、おおよそ私の心のメモリの500メモリに相当します。だから私が239の悩みを話しても、455の喜びを話しても、母にはちっとも理解されません。いつの日か私は無言になり、学習性無気力という状態になりました。
夢は1人暮らしすることです。それだけです。あとは失恋してしまったから(原因は彼女を心の底から愛すことができなかった)、いつか知り合うパートナーと2人で家を建てて、賃貸でもいい、その部屋で一緒にテレビを見ることです。私にはそれがあればそれでいい。
いつの日か私は「この世の中の子どもたちには一切でもって何一つ"生きる"ということを許されていないのかもしれない」と思うようになりました。
ある人は自殺し、ある人は過労、ある人社会不適合、ある人は自傷、
おそらくもう私たちはあと一つのところで消えるところまで、来ているのだと思いました。
もう私たちに残ったエネルギーは、ない。
もう全てをあげました。これ以上、何を取ると言いますか。
しかしながら、私はかろうじて生き延び、さらには生の尊厳と言えるものをうつの治癒から見出しました。
そうしてそのことを書き続けていきたいと覚悟しています。
もう、多くの言葉を使うつもりはありません。
これまでの時代は、奪い、憎しみ、欠落した。
日本は終わりました。
そんな悲しいことを言うなよ、そう言われるかもしれませんが、そんな悲しいことなんです。そんな酷いことなんです。
だから私はこのオワコンからもう一度再生に向けて動き出そうと思いました。
自分にやれることなど知れてはいますが、とにかく生きながらえてしまった者として、生きてく道筋を示さなければならない。
私はこれからも死ぬまで生き続けていきます。
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