女性的な俺
自分のブログを見返していて、かなり攻めたことを書いている自覚があったので、「こりゃあアンチもわんさかだわ」みたいな感が否めなかったのですが、
心が落ち着いてしっかりと自分のブログを見返してみると、わりかし語り口調が女の子か?みたいな感じがあるな、と思いました。
以前私という主語を使うのは女性にも男性にも中性的な印象を読者に与えるからだと書きましたが、割と本当に思ったよりそれがそうらしかったのです。
またそれが限りなく嬉しく、というのも世の男性像みたいなものに私は辟易していて、決まって男性的なものは機能不全の元凶になっていることを肌で感じることがあったんです。別にこれはその人を糾弾するわけではありません。
ですからあまり男性的になりたくなかった。それが現れていた、と確かめることができたのはかけがえのない経験でした。
またもう少しこれを深掘りすると、というか究極的なテーマですが、本当の意味で男性らしい人物は、そこに女々しさや女性的な要素を少なからず雰囲気として持っている人なのではないか、とも感じています。
女性的な部分がある人物が、はじめて男性的になれると言いましょうか。
これはおそらくこの前入部した演劇部なんかでも、表現の核心の部分になる大事なポイントなのではないか、と思わずにおれません。