親は厳しく、世は易しい.
親は優しく、世は厳しい。
これが世間のおおまかな意見のようだが、
機能不全の家庭に生まれた者としては、
親は厳しく、世は易しい(優しい)と言える。
世界はとっても優しいぞ。
なぜなら給料というものをくれるから。
世界はとっても優しいぞ。
なぜなら制約をしないから。
世界はとっても優しいぞ。
なぜならみんなが迷っているから。
世界はとっても優しいぞ。
なぜならみんな困っているから。
これに対し、親は厳しいぞ。
迷うことも、困ることも、悩むことも許されないから。
私のあげた功績は、全て親の否、父親の、人格形成の足しとなるから。
自己実現を転嫁した、哀れな小人、
息子が自殺未遂をしても、されど拍車のかかる教育熱心。
その教育熱心の核を成す本質は何。
それは父親の大人になれない子どもの寂しさ。
精神的に子どもの未熟な寂しい心。
それがいつまでも父親を自己愛に留まらせている。
被害者でいながら加害者になる、
毒親の真の本質を現す。
最初は理解に戸惑うが、紛れもなく機能不全は子どもの精神的災禍となって襲うということを理解する。
この22年の牢獄から、
何としてでも解脱するため、
私は必ず金を稼ぐ。
数年後父親は言うだろう、
「どうしてお前はそんなに強く在れるのだ」と。
その理由を応えよう。
それは二つある。
一つはお前の期待に応え切ったのだ、ということ、
もう一つはお釈迦様を本当の親としようと努めたこと、である。
期待に応え切って、お釈迦様を先生としようと命を懸けて努力したからである。
「どうしてお前はそんなに強く在れる」
一つ答えよう、
人前でプライドを捨ててふざけられるからである。
どうしてお前はそんなに強くあれる。
何を今更、
俺は生まれた時からそうである。