私の好きなキャラクターは皆、軍隊のような規律のある心で、不自由の中で自由を求めている、キャラクターだ。
私の好きなキャラクターは皆、軍隊のような規律のある心で、不自由の中で自由を求めている、キャラクターだ。
私は魔法科高校の劣等生に登場する、司馬達也というキャラが好きです。
そしてヴァイオレットエヴァーガーデンに登場するヴァイオレットが好きです。
そして進撃の巨人に登場するミカサが好きです。
ヴァイオレットとミカサの声を担当している声優さんは石川由依さんですが、
どちらのキャラクターも心がとっても不器用なんです。
それでいて強い。
はたまた最初に挙げた司馬達也というキャラも、自身が人体改造という悲運を受け、近親者への感情以外の感情をすべて失った、キャラです。
ヴァイオレットは軍隊の出身で、"人間の心"について知りません。
ミカサはもともと感情の表現が不器用で、「ワタシハツヨイ」と兵士たちを鼓舞するその姿は、不器用であり強い、の現れと言えます。
あるいは私はアニメを見たことがないですが、Fateシリーズに出てくるアルトリアペンドラゴン、セイバーが突き刺さります。
セイバーに至っては分かりませんが、
私が挙げた3つのキャラは、どの人物も、"不自由の中で自由を求めている"あるいは、
"心を失った"ということに関連しているのです。
おそらく私は生まれ育った時から父が自己愛形成の途上にいましたから、
私の感情、などは見向きもされず、
そして母も私を蹴り飛ばして怒りましたから、
私も"感情を失った"とこに由来するのだと思います。
精神障害は悪化し、躁鬱病や強迫性障害、解離症などを経験し、
その後の一年間では19回の自殺苦がありましたが、
ここのとこからも、私が"心を失った"というところに繋がるのだと思います。
私にとっての青春は、"不自由の中で自由を求める"この一点に限るのです。
そもそも私の青春そのものが、消極的な生きがいなのです。
それが私という存在であり、それが22年生きてきた私の軌跡です。
父に愛があれば、それは父ではない。
母に情緒があれば、それは母ではない。
生きる意味があるのであれば、それは私ではない。
これがおそらく現代に生まれた私の苦しみです。
そして同じく現代にアニメ化された作品だからこそ、その"不自由の中に生きる"キャラと出会い、
そこに惹かれたのでしょう。
私は大学で、"不自由の中で自由を掴む"青春を送りたい。
もう邪魔はしないでください。