毒親に育てられてその親に死ねと思わない子がいるんだとしたら、それは神様か仏様なのであって、あるいはまったくそれを発露できない共依存状態であると思う。そしてそういう子は9.9割方、共依存の方に分類されると思う。
もし仮に、不当に理不尽に、親に期待と羨望をかけられて、それでも親に対して1ミリも嫌な感情を抱いていないという子どもがいるのだとしたら、
それは神様か仏様なのであって、自身を殺す人間を許し入れるという広い心をお持ちの方であって、我々の手を出していい範囲の人間じゃない。
もし仮にそんな人間がいるのだとしたら、その方はこの世の理を超越されているのであって、全くもって我々の認識し得る範囲ではない。
仮に何も言わない、という子がいたとしても、その心の中にはどす黒く怨嗟と憎しみが渦巻いているのであって、そこに喜びがあるなんていう人がいたとすれば、それは最早人ではない。人ではない、何かである。
ここをはっきり区別しなければならない。
断じていうが、恩のない人間に恩を感じろ、という流れがどうやら毒親としての呪縛の性質の一つとしてあるようだが、
それは洗脳であって、愛ではない。
洗脳を受けて、愛を感じている人間がいたとしたら、
それは人間ではない。
ある種の進撃の巨人でいうところの始祖ユミルみたいなものだ。
全くもって人間じゃない。
じゃあ果たして、その人間ではない方向に突き進め!というのが、その理論が、
本当の教えと言えるか?真実の教えか?
それができる人間がいたら、私は何もかも諦めよう。
だってその人間は、それができた人間になった途端、人間ではないのだから。
これは毒親に感謝しろ、という言説に対しての反証である。
神になれ、ということやな。
一言で言えばね。