自分の目の前に提示される対象物がいかに理に適った、あるいは"正しい"と言われる事柄であっても、あなたの心がそれについていけないのなら、私はそちらの方を応援する.
自分の目の前に提示される対象物がいかに理に適った、あるいは"正しい"と言われる事柄であっても、あなたの心がそれについていけないのなら、私はそちらの方を応援する.
私の目の前にいかに正しく、公正で、理に適った、ものが提示されたとしても、
それが世間で言う大成功だったとしても、
それに私の"心"がついていけないのならば、
私はそっちの心を優先させてあげたい。
心を優先させてあげなければ、死ぬ。
本当に、死ぬ。
それがたとえいかに正しくとも、いかに世間に望まれていようとも、いかに本当の教えであっても、
私の心が悲鳴をあげているのなら、
私は私の味方になる。
誰も、私の味方にはならない、なるどころか気づかれも見かけられすらもしないが、
だからこそ私だけが私の味方になってあげないと、
本当に死んじゃう。
これは私の哲学的にも思想的にも宗教的にも、全生命をかけて3年間邁進したことの結果だが、
私の心を無視して、他の何かは理解できない。
逆に言うが、
私の心を無視する"理論"や"教え"が、
「本当の教え」と言えるのかよ。
自分を大切にしよう、
これが全生命を懸けて求道してきた私の、
たった一つの言えることだ。