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自身の分身のような人間が現れたら、私は好きになってしまうだろう。これまでの経験もそうだった。しかし、その道しか知らないではいたくない。本当の意味で他者と親密でいたい。

これから先、自身の分身みたいな異性が現れたら私は好きになってしまうのではないかという、予測に捉われることがある.

だからそれで不倫をすることになるなら、大学に行きたくない。

私はその融合点を探している。

謙虚に、素直に、控えめな親密関係はないのか。これは私の理想論か。机上の空論か。

ただこれについての一つの打開策、がある。

それは「生の無慈悲性、これらがみなに働くものであるとの理解を、胸の奥の部分でストンと落とし込む。」

ということだ。要するに同じ人間である、と理解することだ。

私が懸念しているのは、分身が現れたことによる異性への、自己陶酔的な依存関係についてだ。

そこに入ると、確かにその時点では快楽を得られるだろうが、しかし

それで幸福になった人を私は知らない。

でもそれって、他者が無慈悲性の中にいる人だなんて、他人の人生を勝手に断定しているのかな..などと思案に陥るが、

このままでは発狂しそうなのでこの辺にしておく。

私は発狂まで悩むつもりはない。

そしておそらくこれら諸々の悩みは、社会経験がないところから来る。

思弁に偏りすぎている。

だから私は働きたい。

だけど私は働くのが怖い。

それは昔のアルバイトで恥を経験したところから来ている。

あの経験が私を地獄に留めている。

私のすべての悩みは、その恥の過去がおまえ自身を過小にしているところから来る。

私は働きたい。

叱られたくない。

でも、現実を知りたい。

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