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彼女と別れた時は

彼女と別れた時は、彼女が最も女性らしかった。彼女から連絡が途絶え、私は一週間苦悶した。不思議なことになぜかそれが失恋の前兆であることは私は最初から理解していた。彼女の声を聞いた時は、もうそこには私への気持ちはなく、それと同時に他者の女性になることを感じるのと同時に、そこには女性の美しさがあった。

彼女との出会いは3年前だった。ゲームで知り合った。長いこと3年間、毎日夜は通話し、他愛もない話をし続けてきた。しかしどこかで何かが噛み合わなかった。それは彼女に対する恨みではない。どこかで差異があった。私はそれを最初から見ないことにしていた。

彼女は歳上の人であった。しかし歳上でありながら、価値観は若かった。それに対しおそらく私は年下でありながら、価値観が老いていた。そこが一つの根幹的なところであると思う。

彼女が別れを告げる時、そこにはじめて他者としての女性がいた。私はそれまで彼女のことを彼女だと思っていた。しかし実際は本当の意味では赤の他人だったのだ。それを失恋と同時に気づかされた。

多くの言葉を使うつもりはない。おそらく愛ゆえに別れた。自分の生活リズムが合う人を、それぞれが落ち着くべき場所を話し合った。もし私がこの別れを経験していなかったら、私が忌み嫌っていたはずの毒親になっていただろうと思う。なぜなら真の意味で心の底から彼女を愛せない時、その影が子どもの情緒に致命的な傷を残すと思うからだ。

私は彼女に助けられた。もし私が彼女と結婚すれば、私は2人いや、2人以上を愛せないところだった。記事で愛を謳っておいて、愛することができないところだった。失恋で自殺、そんなものではない。私は失恋によって生かされたのだ。私は失恋によってこの世に生まれたのだ。

父に対する疑念が示すように、22年人権がなかった。しかし私の失恋が、私を私たらしめてくれた。失恋だけは父親が干渉する余地がなかった。失恋だけは純度100%の私の人生だった。それ故に失恋によって私の精神は深化し、失恋によって私は私になれた。彼女には感謝しかない。

それから不思議なことに推しというものの感情を理解した。また恋愛ソングを聴くようになった。それまでは一度も推しと言っておきながら推しの気持ちが分からなかったし、恋愛ソングも意図しては聞いていなかったことに気づいた。彼女と別れてから、私は恋に目覚めた。

人間というものの尊厳があるのなら、それは一つの不可解な情緒で、きっとあんな人には分からない恋の理由である。私はそのことをただ1人胸のポケットにしまいこみ、自分は極悪だという気恥ずかしい生きる意味でもって顔を赤らめている。

恋をしよう。まだ見ぬ人、あなたの機能不全と機能不全を。恋が機能不全でなかったら、きっとそれは恋ではない。

何もできないことと、下手くそな会話と、あなたしか眼中にない下品さと、景色なんて興味がないことと、あなたへの嫌悪と、耐えがたい虚しさと、機能不全と。

それが分かった上で私は望む。

自然と孤独とに恋するあなたであってくれ。

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