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精神病棟

17歳の時、あまりに人生に迷い、惑い苦しんでいた時に精神科に入院した。

その精神科には私と同世代くらいの女の子や、少し年上の大学生、壮年の社会人、ご老人までたくさんだった。

女の子は1人、可愛らしいショートカット(ボブ?)の子で、歌を歌うのが上手で、手首にはたくさんの傷があった。

もう1人の女の子はザ女の子と言ったらいいのか、言葉当たりはきついのだけれど、その内実は乙女心を持ち合わせているような女の子だった。その子も手首にたくさんの傷があった。

私はその3年後、もう親交も途絶えていた小学生の時の恋仲になった女の子を自殺で亡くした。その女の子も厭世観とあまりにもきれいすぎるような乙女心を持ちあわせている子だった。

4歳くらい年上の男性の人と話し合った。その人はとてもものすごく優しい心の人のように思えたが、話す内容は宗教の内容ばかりで、私はその時の知識では背景に並々ならぬ機能不全が横たわっていたことには気づくことができなかった。

中年の気さくな大柄の男性は、私にとても優しくしてくれた。しかし時として彼は部屋で人格が豹変し、扉を破壊するかのように騒音を立てた。鍵で施錠され、出てこれないようにされていた。その人が言うには大切な人を亡くしたとのこと。事故か病気かは分からないが、その悲しみの末に精神的に取り乱すに至ったらしい。でもその人は優しい人だった。

同じく中年だが、顔が少しこけていて、赤くなっている、常に苦虫を潰したような顔をしている方がいた。彼はクロスワードをいつも解いており、印象としてはとても勉強できる人、という印象だった。しかしある日から「助けてくれ」ということを連呼するようになり、朝の作業療法でも周りの人が迷惑するくらいになった。私も醜いが、そんなに周りに助けを求めないでくれ、誰も助けてはくれないんだから、と当時思っていたことを思い出す。

それから幾日か経った後、その中年男性の部屋からサイレンが鳴り響き、看護師さんたちが急いで何かをしているようだった。おそらく心臓マッサージだ。その中年男性の部屋には後に柵が設けられ、その後ご家族と思われる方が到着し、そのご両親か、2人が涙しているのを見た。

その後朝の作業療法で作業療法士の方が音楽を流すのだが、乃木坂の曲がかかった時、あまりの美しさに泣いてしまいそうになった。

あれから5年が経ち、彼が言っていたことを思い出す。確か彼は「ちゃんと先のことを考えないで進路選択をすると、後で後悔するようになってしまう。仕事にスキルが活かせられなくなってしまう。」と言っていた。

今思えば、誤解を恐れずに言えば生活するだけのお金さえ稼げれば、職なんて何も問わなかったのにと思う。お金さえ稼げていれば、無論自分を傷つけないやり方でなら、何だってよかったのに、それを言えるようになるまで私は5年の歳月を費やしてしまった。

そしてまた別にお金を稼げなかったところで、人間全体の尊厳が何も失われないことを、私は叫ぶようになるまで5年の歳月を費やしてしまった。

その中年男性といつも2人で話していた緘黙の男の子がいたことを思い出す。その子は今私が通う大学と同じ夜間の学生だった。彼は一言も喋らなかった。ある時私が看護師の方からみんなと親交を深めて心を回復に向かわせて、というようなことを体感として言われた気になって、その2人と一緒にご飯を食べたことがある。その時に中年男性が「スキルを活かせる進路選びを」と言ったのだ。しかし緘黙の男の子は黙り込んでしまった。私はその時瞬時に何かいけないことをした、ということを思った。しかしそれと同時に、貴様の所有物でもないだろう、というどぎつい他者批判も感じた、しかしそれが罪悪感へと転じ、ついにはその2人に話しかけることはなくなった。

宗教についてばかり語る青年(当時の私より4個ほど上の気がしたが)が、そのショートカットのボブの女の子に好かれていることが分かった。その時に同時に「なぜ自分ではダメだったのか」と思った。またそれと同時に「こいつよりも自分の方が魅力があるだろう」と思った。しかし私はそんなことを思う自分を誰よりも醜く思い、結局その男性の優しさが彼女に好かれていることを根本的な理解には至らないまま私は自己を嫌悪した。

そのショートカットの女の子とは退院したあと少しばかり親交が続いたが、まったくもって彼女には本質があるが、私には本質がなかったと思う。別に深い仲になったわけでもない。しかし彼女に送ったラインの内容は、それももちろん何か変なことを言ったわけでもない、しかし明らかにそこには本質がなかったのだ。

もう1人の体裁がきついが乙女心を持ちあわせている女の子はのちに子どもができた。私は早くに子どもを持つということが決して幸福を現すものではない、ということを、その当時は知る由もなかった。

ボブの女の子に好かれていた男の子、男性は一度退院したが、また戻ってきた。何があったのかはわからないが、急性病棟に戻ってくるにはそれなりの理由があることは確かだった。

私が退院する時、なぜか「あの人よりは早く退院できてよかった」そう思っていた。そう、私はなぜか彼に嫌悪感を抱いていたのだ。その正体、5年後の今なら分かる。似ていたのだ。底知れなく似ていたのだ。自分と彼との境遇が。そしてまた似たものを寄せつけることができる心理的状態ではなかったのだ。故に私はどぎつい彼への軽蔑の念と、その軽蔑の念を抱く自身への自己嫌悪の念に捉われ、そんなことが巻き起こる病棟自体から離れられることに、「ああ彼よりも早く退院できてよかった」(もう彼について考えなくてよくなった)と思ったのだ。

今でも鮮烈に覚えているのは、大手のゲームのシナリオを書いている、という男子高校生と出会ったことだ。彼は仕事に行き詰まり、気がついたら夜に山を登っていたという。警察に保護され、そこから精神病棟に入った、と聞いた。

それと同時にまた別の女の子がいた。その子は元気溌剌というか、まるで健康体だった。部活は体育系のものをやっている、というような風体で、ここに来た理由としては海に飛び込んだから、ということだった。しかし後に分かったが、それは希死念慮に苛まれてのことではなく、1人の少女がこの世への理不尽への反抗として突発的にやるある種の反抗期的自傷であった。故に健康体だったのだ。

その彼女がゲームシナリオを書いている彼と恋仲になったのだ。その時に私はまた「なぜ自分ではダメだったのか」と思った。どうも私には私というものへの執着がすこぶる強かったらしい。自己嫌悪しながら私は側で彼らを見ていたが、彼らは実に幸せそうであった。

彼が本当にゲームシナリオを書いていたのかは分からない。彼が元厚生労働省かどこかで働いていた官僚の人とビジネスパートナーで、世の中に名が知れているゲームのシナリオを書いていると言ったことは確かだ。実際に病室では「パソコンは使えないから」といって、原稿用紙にシナリオを書いてるふうであった。私は彼の部屋に入った時、たくさんのお菓子が並べられているのを見て、ああ彼は楽しんでいて彼もまた、彼女のように健康なのだろう、と思った。

その他にもたくさんの方を覚えている。統合失調症の女の子に呪文のようなものをかけられたこともあったし、同じく自我の崩壊した躁鬱の壮年の方が話すと止まらなくなり、しかも決まってわけもわからない話をする中、そのボブの女の子と「やばいね」と目配せをする時、その時のみ本当の幸せを感じていたことを私は覚えている。

あれから5年が経ち、私はすべて変わったが、その時の体験は今もまだ、生々しくこの身に残っている。

醜い部分も晒したが、これはどこかで究極的な苦難を受けている人たちには、時としてまったく逆の綺麗なもの、として受け入れられることを、その後生きながらえた私の経験として悟ったので、語った。

いなくなった小学生の頃恋仲になった彼女には、一体他に何が許されていたのかと、今も考えることがしばしばある。

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