「母親を○○させた私」~幼稚園期~
今回も前回同様、私の幼稚園時代の思い出です。
それは幼稚園の春休み真っただ中。
めちゃめちゃいいお天気の午前中でした。
母が掃除をするのを、座ってぼ~っと眺めていた私。
すると母は掃除機をかける為に、茶の間にあったテーブルを壁に立てかけました。
このテーブル。
我が家は町営の集合住宅に住んでいたんですが、その住宅には似合わない、重厚ですごく厚みのある木のテーブルだったんですね。
天板も5cmくらいの。
そのクソ重いテーブルを「よいしょっ!」っと母親は、壁に立てかけた訳です。
そして掃除機をかけ始めた訳なんですが。
次の瞬間。
幼稚園児だった私は、おもむろに母の方に突然そのテーブルを押し倒しました。
・・・何故そんな事をしたのか。
理由は、自分のした事ながら未だに全く分かりません。
その倒れたテーブルは、母の頭を直撃。
実際は笑えない話ですが、コントのように母はそのまま気を失ってしまいました。
・・・・・。
・・・・・。
「うわ~んっ!!!💦💦」
お母さんが死んでしまった。
どうしよう、どうしよう。
私は、カーテンに掴まったまま大声で泣きました。
掃除機をかける為に窓が全開になってた為、私の泣き声は隣近所にかなり聞こえていたと思います。
そのお蔭で、普段から家族ぐるみでお付き合いをしていた、隣の家のおばちゃんがすぐに様子を見に来てくれました。
そしてすぐに、倒れてる母を発見。
「○○さん!○○さん!」と母に声を掛けると、母はすぐに目を覚ましました。
そして大きなため息を吐きながら、母が私に向かって一言。
「お前にはあきれて起こる気にもならない。」
そう言って、隣のおばちゃんに何度も頭を下げ、そのまま掃除機を片付け始めました。
・・・そんな母の後ろ姿を見て、私はどうしたでしょうか?
謝ったでしょうか?
・・・いいえ。
私は前回の父の時同様、すごく腹が立ちました。
私をこんなに心配させて。
その思いが「ごめんなさい」を言うより先に、私の中で膨れ上がってしまったんですね。
そのままプイっと背を向け、2階の自分の部屋に何時間も籠ってしまいました。
~私自身への不信感~
今回の記憶に関しては、私が私自身に対して非常にイヤな思いを持ち続けてきた、というものでした。
だって身内とは言え、母親を気絶させて「ごめんなさい」の一言が言えないなんて。
そもそも自分の幼少期を振り返ると、親にはもちろん友達と喧嘩して自分が悪くても、自分からは絶対に「ごめんなさい」を言わない子供でした。
さすがに大人になってからはそこまでじゃないにしても、その時の気分で「謝る」という行為がイヤでたまらない時もありました。
でもそういう時の自分の状況って、後から考えると焦りや不安からか気分がざわざわして落ち着かない時が多く、少しの事でもイライラしたりするんですね。
そして気分が落ち着いた時に、自分の言動や行動を激しく後悔する事が多いかったです。
そんな事をず~っと繰り返してきた50年。
それが最近になってようやく、「そんな疲れる生き方はやめよう」。
不思議とそう思えてきたんです。
~新しい解釈~
この物心ついた幼稚園の頃から50歳手前位まで、常に忙しく慌ただしく落ち着かない毎日を過ごす。
そして、それが=(イコール)充実だと思ってた私。
喜怒哀楽も激しく、今思えばいい時と悪い時の差がかなり大きい人生でした。
でも50歳過ぎてそんな生き方に結構無理を感じ始めたのも事実。
実際そんな生き方を続けてきて、今自分が望むような生活を送れてるのか。
答えは、完全にNOでした。
周りはもちろん、自分自身もいっぱい傷つけて、結果全然満足出来る状態に辿り着けていない。
だったら、逆にもう頑張るのはやめて力を抜いて生きていこう。
そんな風に思い始めた、今回の振り返りでした。
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