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「父親も人間なもんで」~幼稚園期~

私は一人娘です。

でも正直両親とは疎遠で、もう20年近く会っていません。

何があったかは追々お話するとして、とにかくもう長い事会ってないんですね。

ただ1年に1回程度は電話で母親と話します。

でも父親は外出中か、居ても電話を替わろうとはしません。

30年近く前、一人娘の私が結婚で家を出た時、「もうあの子はうちの子じゃなくなった」と、母に言ってたとか。

そのせいなのか父親とは、母親以上に距離を感じます。

そんな微妙な親子関係の私達ですが、私がまだ実家にいた頃は全く違いました。

母親はかなり厳しい人だったにも関わらず、父親は1人娘の私に激甘。

長距離トラックの運転手をしていたのですが、私をトラックに乗せ同僚の方に自慢して周ったり、仕事先で行った地方の山奥でたくさんのカブトムシを捕まえてきてくれたり、と幼心にも(父親は私に甘い・・)とはっきり認識していました。

その後父は私が小学生の時、乗っていた大型トラックで事故に巻き込まれ、3ヶ月の入院をし、それがきっかけで長距離トラックの運転手を辞めてしまいました。

それからはパチンコ三昧の毎日・・。

私はと言えば、高校生になり電車通学をする毎日。

でも当時サボり癖がついていた私は、学校に行く為に電車には乗るけど結局すぐに途中の駅で下車。

そして公衆電話から家に電話をして、父に車で迎えに来てもらう、という事をしょっちゅうしていました。

当然家に帰れば母親は激怒。

そんな母をなだめつつ、私をそっと自室に逃がしてくれる。

又ある時は、いつまでもパチンコ三昧の父を見かねて、「お願いだからちゃんと仕事して!」って言うと、それからすぐにホテルの駐車場係の仕事に就いてくれたり。

とにかく実家にいた時は、かなり父親との関係は良かったと思います。

でも、一つだけ聞きたくてもずっと聞けずにいた事。

それは私が幼稚園だった時。

夜中に尋常じゃない位怒られました。

とにかく布団の上に何度も顔から倒され、私は鼻血がかなり出ていました。

布団のあちこちに、私の鼻血の跡・・。

とにかく父親はぶち切れていて、母もおろおろするばかり。

そしてある程度の時間がたつと、父はプイっと部屋から出ていきそのままお風呂に入ってしまいました。

そこで当時、幼稚園児だった私はどうしたか。

なんと・・、泣くどころか逆に父親に対してめちゃめちゃ腹が立ち、お風呂場に入ってる父の所へ文句を言おうと、お風呂場に向かおうとしたんです。

もちろん母に必死に止められ、結局父親がお風呂に入ってる間に、鼻血の手当をしてもらい、母と一緒にその日は眠ったのでした。


何故あの日、父親があれだけ怒ったのか。

その理由は、今も分からずじまいです。

疎遠になってしまった今はもちろん、私が実家にいて父親と仲が良かった時でさえ、それを聞く事は出来ませんでした。

私自身が無意識に聞くのを避けていた、そんな感じです。


理由も聞けなかったし、普段あれだけ私に優しかった父が何故あそこまで豹変したのか。

理由が分からないモヤモヤと、ぬぐい切れない父親への不信感が、ずっと私の胸の中にありました。


~私の中の新しい解釈~

幼稚園の時のあの父親の記憶は、私の中でかなりイヤな記憶でした。

モヤモヤしたイヤな記憶の状態のまま、50年近く自分の中に置き続けたんですね。

でも私はこのタイミングで、「イヤな記憶」から、何か違う記憶に変えられないか考えてみました。

そしてまず一番最初に思った事。

そういえば私も自分の子供が小さい時は、イライラする事もあったよな・・って事。

どんなに可愛い我が子でも、やっぱりイライラする時はありました。

イライラがどうしても抑えられなくて、必要以上に叱って後で激しく後悔する。

もしかしたら、あのときの父もそんな状態だったのかもしれません。

お酒も好きな人だったので、酔っぱらってたのかもしれない。

確かに理由はどうであれ、そこまでする!?という気持ちもありますが、同時に「父親も人間なんだよな・・」と、当たり前の事も再認識しました。

又母親に「お前はお父さんに性格がそっくりで喜怒哀楽が激しい」とよく言われてた事も思い出し、もしかしたら私が気付かなかっただけで、父親は割とカッとしやすい性格だったかもしれません。

そんな風に考えてたら、不思議ですが「もうどうでもいいや」って気持ちになってきました。

疎遠になった父親に今さら当時の事を問いただす気もないし、そもそも父親がその出来事を覚えてるかも分かりません。

仮に覚えてたとしても、「忘れた」というかもしれません。

とにかく理由はどうであれ、自分の中で「イヤ」だった出来事が、「どうでもいい」出来事に変わりました。


「優しい父親がたった一度見せた強烈な怒り」の記憶が→「父親だって人間だもんね。」に変わった事で、私の中にあった父親への不信感が大分薄まったように感じます。

真実はもう分からない。

だったら、私が楽に生きれるように解釈を変えてしまえばいい。

そんな結論に至った、幼稚園時代の出来事でした。

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