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恵比寿映像祭

お久しぶりです。下書きにたまるだけで文字に自分の体験を起こしていたことに変わりはなかったのですが、いまいち納得のいくオチをかけずにいました。

本日は恵比寿で恵比寿映像祭コミッション・プロジェクトの方を見てまいりました。

「コミッション・プロジェクト」とは

恵比寿映像祭における東京都写真美術館の新たな事業として、国際的な発信および新しい文化価値の醸成を目的に、恵比寿映像祭2023から始まった制作委嘱事業が「コミッション・プロジェクト」です。映像祭などを通じてこれまでに構築した国内外のネットワークを活用し、日本を拠点に活動する新進アーティストの中からファイナリストを選出。選ばれたアーティストに制作委嘱した映像作品を、“新たな恵比寿映像祭”の成果として発表します。その作品を将来的に国内外の文化施設や文化機関で紹介することで、アーティストの創造活動を支援するスキームを作っていきます。

恵比寿映像祭2024

簡単にいえば優秀作品に選ばれたアーティストの作品を展示するってことですね。

今回は金仁淑(キム インスク)さん、荒木悠(あらき ゆう)さんのに作品が展示されていました。
それぞれの作品は恵比寿映像祭2024のテーマである「月へ行く30の方法」と絡み合わせたものとなっていました。
人類の大きな夢である宇宙への探検、追及。
その中で一番近い宇宙である「月」へ行く方法。
ドキドキワクワクアドベンチャーだね。
私も月までバカンスしたい!
なんなら火星を打ち落としたい。爆発させたい。

どちらの作品も私の好みで私の中で刺さるものがありました…。

どちらに共通すること、といえば「食事」だと思います。


荒木悠さんの作品は「皿の裏側」といいます。

映像メディアはもどかしい。何かを写して見せるという行為の裏には、他のものが切り取られ、排除されてしまうから。この宿命めいた構造は、私たちが地球にいる限り、月の裏側を肉眼で見ることができないという歯痒さと、どこか似ている気がする。

 本作《ROAD MOVIE》は、ハリウッドから約6,940km離れたアイスランドの小さな村・スカーガストロントで撮影された。真冬の3ヶ月間滞在したこの村で唯一外食できた場所がガスリンスタンドに併設されている「Grill 66」というファストフード店であったことに、心底失望したのが制作のきっかけだった。店名の由来であるアメリカの国道66号線にちなみ、それぞれ地名が付けられているメニュー全25品を、東から西へ地理通りに見立てては一皿ずつ食べ、「Chicago(ベーコンチーズバーガー)」から 「Hollywood(ビーフステーキ・サンドイッチ)」を目指す移動しないロードムービーである。信頼関係を築いたレジデンス仲間、現地で知り合った青年たち、店のオーナーやスタッフなど、ひとつの目的のために結束してくれた。映画をつくるということは、一時的に擬似家族を形成するそれと近しく、現場での安心感と独特の高揚感を今でも覚えている。

 いわゆる新大陸発見から西部開拓の延長であるかのように、月面到達レースを制したのも彼の国だった。フロンティア・スピリットといえば聞こえはいいが、開拓史の裏には土地を追いやられ、奪われてしまった人々がいることを忘れてはならない。アメリカではない場所で、非アメリカ人らと共にどのようにアメリカを表象するかーーアイスランドと同じく、北米プレートとユーラシアプレート上に位置し、今でも米軍基地がある島国に生まれた者としての、ささやかな挑戦のつもりだった。しかしながら、先述したように、本作もまた、映像メディアの宿命の例にもれず、ある一面しか切り取ることができなかった。今回、東京都写真美術館の素晴らしいコレクションと併せて拙作を展示できる機会を大変光栄に思うと同時に、大御所の作品と並んだときの私の胃袋は、至極萎縮してしまうのである。

「皿の裏側」 概要

と、ひたすらテーブルの上で地名のついたメニューを食べることで東から西へとアメリカ国土を横断していくのです。
食べっぷりも、ひたすらにポテトとハンバーガーばかり出るのも、苦しそうな顔も、終盤で出てくるバーガー四個乗ったお皿をほかの友達に代わりに食べてもらうのもとても面白かったです。

そして、金仁淑さんの作品では「家族の拡張」について取り扱った対話の映像がメインの作品であった。
家族の拡張?とは何だろうか。


美容師の方は「時間を共に暮らす」ことを家族ととらえていたりしていた。
人間が二人以上そこにいればもうそれは自分以外の人生が絡み合っていくものだと、この作品を通してなるほど、、となった。

その中で特に面白いとなったのが
「食口(しっく)」という言葉である。どうやらある宗教とも関係のある言葉らしい。
韓国語で「同じ釜の飯を食べる」という意味らしくそこから派生して
宗教下では「兄弟姉妹、家族」という意味らしい。

おなじ釜の飯を食べることは、おなじ体の中に入れるものを共有するということだから「家族」なのである

なるほど。たしかに親ペンギンは食べ物を口に入れて口移しでひな鳥に与えますもんね。

やっぱり、食べることは素晴らしいことなんだなと、食べることも作ることも好きな私は思わず感動してしまいました。
食べることは生きるガソリンだと好きな人は言う、
幸福度が低い人は食べることが一番幸せだから太っているとある人は言う、

わたしはもし私の幸福度が低かろうが食べることは最大の楽しみだと思っている。だから誰かにあたたかい食卓を手向けたいし、食卓を囲んでいたい。
一緒に命をいただくその瞬間を共有していたい。
ひとりで食べる孤食なんかよりも誰かと一緒に幸せでいたい!
わたしから食べる幸せを取り除くことはできない!これは絶対だ。
と、とてもとてもそりゃぁ私のかすかすスポンジ頭じゃ足りない言葉でこの私のなかの造詣の深さを語りたいです。ほんとに。


作品を見た後、入場客の感想が付箋でたくさん重ねてあり、壁にもちらほら張られていた。
メッセージ性、デザイン性のあるものや、電話番号が書かれているものもたくさんあり、個性と人々の考え、個人の性格、人間らしさなどを感じれた。

その付箋で重なったいっぱいのテーブル、いくつかが重ねて壁に貼ってある様子が数年前に見た「最高に素晴らしいこと」のあるシーンを思い出した。
私も思いを書き起こしたい、その時思ったイメージを重ねていきたい。
そう思い、今日から日記代わりに何もない私の部屋の壁に付箋を貼りまくることにする。たくさんの付箋でいっぱいになるのが楽しみだ。


その日は念願のキャロットケーキと新宿タイムスのコーヒーを飲めたのでとても幸せでした。
大念願の香水も無事に購入できた。

こういう日がずっと続いていてほしい。
まぁ、幸せは気づいてないだけで意外と足元に転がってるんですよ。
クリシェだけど。

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