呼び方(エッセイ)
私は、同性の友達を呼び捨てで呼んだことは一度もない。
必ず「〇〇ちゃん」と呼んでいた。
どんなに近い距離にいる友達でも、○○ちゃんと呼んでいた。その呼び方の方が私自身しっくり来るし、何となく呼び捨てで友達を呼ぶ事に抵抗感を持っていたのだ。
けれど、中学に上がり、部活をするようになると、小学生からの友人からこう言われた。
「これからは、呼び捨てで呼んでも良い?」
私は正直驚いた。
一瞬、嫌だな……。何て思わなかったと言えば嘘になるが、それを拒む事は出来ず、「良いよ」と私は答えた。
最初こそ違和感は合っても、もう慣れれば全然平気。
今では「いしかちゃん」と呼ばれていた時があった事を思い出すと、少しムズムズする。
そんなもんだ。
慣れれば何てことない。
けれど、私自身これからも呼び捨てにする事もなければしようと思う事はない。
特に同性には。
なんでなのかな?
私にも分からない。
けれど、私はそれが良くて、それが自分では心地が良い。
それでも……「〇〇ちゃん」って呼ばないで?と誰かに言われたら、私はどうするのだろう……?
考えると真っ白だ。
ど、どうしたら良いんだろう………、
その時が来るまでは保留。
私にとって、〇〇ちゃん。と呼ぶ事は、自分自身のエゴで、けれど大切で、今は譲れないものなのかもしれない。
フォローさせて頂いているnoterさんも、ちゃんづけで呼んでみると、響きが『さん付け』より可愛らしくなる。
〇〇ちゃん、おはよう。
〇〇ちゃん、ありがとう。
んふふふ。(*‘ω‘ *)