見出し画像

運転における道を知っているということ(エッセイ)

いきなりだが、私の父は道をよく知っている。

『ここで曲がるとこの道に出る』

『こっちの車線じゃ左折だけになるから
右の車線に移動して』

娘である私が感心する程、本当によく道を知っている。
『何でそんな知ってるの?』と聞くと、
『何度も通ってきたから』との返事。


イヤ、だからって、知りすぎでしょ…

車を運転するようになってからというもの、慣れては来ているが、車線変更は未だに苦手意識はあるし、駐車もなんだか実力後退。

何でっ?!と思うこともしばしば。

けれど、道を覚えるという事に関しては後退することがない気がする。新しい道を通ると、その度に私の頭の中の地図がアップデートされていく。

けれど、道路の車線まで覚えることはなかなか出来ない。

それこそ、何回も何回も繰り返し同じ道を通らなければならない。

教習所で教わるのは基本、左車線通行。
それが当たり前で教習中に困ることはなかったが、免許を取ってからは訳が違う。

それこそ左車線通行をし続けていたら、
左折だけの標識になる、なんて道路はたくさん出現する。

私はこういう道路の車線を『トラップ』と呼んでいるが本当に困りものである。

父いわく、何度も繰り返し運転して、道を覚えるしかない。らしいが、簡単に出来る私ではない。

それこそ、あまり通ってこなかった道ではヒヤヒヤものだ。カーナビという便利な相棒も活用しているが、案内された後からでは、道路状況によって車線変更出来ない場合もある。

無理矢理入れてもらおうなんていう考えは、今の私にはない。

それよりも事故の恐怖の方が勝る。

けれど道を知っていれば前もって車線を変更したり、行動することができる。

それこそ、カーナビの案内の前に行動出来るのだから、気持ち的にも余裕が持てる。

こうなる為には、やっぱり繰り返し運転して道を通る他にない気がする。

『もう知ってる』
『この道通るの飽きた』

このぐらいの境地に行くまで達すれば、余裕が出てしまうぶん、注意散漫になってしまわない様に注意する必要も出てくる。

車を安全に目的地まで連れて行く為に。

自分の行きたい場所へ、ちゃんと行けるように。

それこそ誰かと一緒に行けるように。

私には簡単なことではないが、続けていこうと、今は思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?