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読書記録2023①

活字を追えるシアワセ。

遡ること数か月。
何を読んでも楽しくない、本屋に行く気持ちが湧いてこない。
そんな状態に陥っていました。
本を開いて読み進めていても文字が上すべりしているような
以前に読んだ本でも覚えている内容が拾い出せないのです。

ようやくそんな状態から抜け出せてきた今日この頃。
「読みたい!」「面白そう!」の気持ちが湧きあがる。
その気の向くままに本屋さんで選んで購入し、読みふける。
その行為の心地よさ。

芥川龍之介「地獄変」 遠藤周作「海と毒薬」


「地獄変」
見たものしか描けないという絵師と、絵師の振る舞いに日ごろから思うところがあった絵師の雇い主である、時の権力者。
完璧な地獄絵のために用意された世にも恐ろしく凄惨な場面を写し取り絵を完成させた絵師は、その夜に自ら命を絶つ。

芥川龍之介といえば、教科書にも載る文豪。
「羅生門m」は国語で習った覚えがある。筋を聞いたことがある作品もいくつかある。
けれど自分で購入して読んだことはなかったので、今回選んでみました。
時の権力者のモデルは藤原道長ではないかと言われている。
その権力者に長らく仕えた側近による回想の中で、特に印象が強かった出来事として挙げられたのが、絵師のための“ある出来事”。
人が人を様々に戒めようとすること。そのために戒めを受ける者が大切にしているものを忌むべき方法を用いて犠牲にすること。
その方法は、時の権力者だからと言って赦されるものなのか。


「海と毒薬」
太平洋戦争末期に戦争捕虜を生体実験で死亡させるという実際にあった事件を題材としている。九州にある大学病院内の教授の座を巡る権力争いとそれに利用された患者の手術。その手術は失敗に終わり権力争いに後れを取った陣営は捕虜の処遇に困った軍部からの生体実験を持ち掛けられる。その実験の主たる計画者は軍部、教授、助教授、助手らだったが、実験に立ちあい、参加しGHQによって開かれた裁判で有罪となった者の中には医局員、看護師もいた。主たる計画者ではなく従属的な立場とみなされた彼らは数年の服役刑となった。医局員、看護師はどのような経過で実験に参加することになったのか。

それぞれの医局員による独白は、直接的に参加を決めた理由につながるもの、決断に至った自身の性格を形成した過程を述べるもの。自身の過去と、実験に参加したことで偶然得られた一瞬の優越感から突き落とされる絶望感。
実験参加前後での参加者の変化と海の印象の変化。

感想。

ふたつの作品を通して感じたのは、人間の業。
すごくありふれた表現ですが。
性格は環境というざっくりとしたもので作られていく。
環境は一緒でも、持って生まれた才能と後天的に獲得した才能や周囲の関りが与えた影響。
「地獄変」の絵師が技術は一流でも尊大で周囲から眉を顰められる行いが多数あっても子どもへの愛情と執着は世間の親並みという普遍的な部分。
時の権力者として一片の陰りもなく世を謳歌し牛車で通行人をひき殺しかけても逆に感謝される存在である大殿であっても、ままならない人の心。権力の赴くままに行った凄惨な行為の結果は、行った大殿自身も青ざめるほどのもの。考えた時点で分かりそうなものなのに、それを凌駕する絵師の業。
「海と毒薬」では、戦時中という常に緊張を強いられる中で人間的な感覚の鈍麻がそこかしこで起きる。市井の人々とされる中に、卑劣な行いに加担したものがいる。感覚の鈍麻は生き抜くために必要な精神の作用ではあるけれど、“赦される”免罪符として使ってよいものではない。
立場が上の人に言われたことを流されずに断ることができるか。いつでも自分の欲に負けずに貫ける意思の強さを持つことができるか。
遠藤周作はクリスチャンであり、作中の登場人物には信仰を持つ人物がおり、その人物のセリフから、意志を信仰と捉えることができる。信仰を貫くことで道を誤らずに済むと考える人と非常に近しいところにあってはならない事件の当事者がいるという構図。だれでもそうなってしまう危険性とならずに留まれるか。留まれず流される側にいる自分と思うので、この作品が投げかけるテーマは本当に難しい。

長くてすみません。

感想が思ったよりも長くなりました・・・。
自分の稚拙な表現力に何度も手が止まり、語彙の少なさからやたらと説明的になってしまう。
次回の読書記録はいつになるかな。あまり読んだことのない作家の作品を購入したので、それを読めたら書けるかなと思っています。


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