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キャリアの転換点、育休が取れずに分かった人生の優先順位
「 #心に残る上司の言葉 」
このハッシュタグを見てすぐに、あるひと言を思い出しました。
”自分のキャリアについてもう一度、真剣に考えなさい”
「育休をとらせてほしい」と願い出たわたしに対して、上司が返した言葉です。
あれから既に10年以上が経ちますが、当時のことを振り返ると未だにモヤモヤします。それでも、わたしの人生の大きな転機になったのは間違いなく、そういう意味では上司に感謝もしていますが。。
良い機会なので文章にまとめてモヤモヤ供養としたいと思います。
妻の出産
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まず、先述の”キャリア云々”発言の背景をお話しさせていただきますね。
時代的にはリーマンショックや東日本大震災の直後、社会にとっても会社にとっても、楽な時期ではありませんでした。
当時わたしは社会人2年目。新卒で入った会社でソフトウェアエンジニアをしていました。NASDAQに上場する中堅メーカーです。
仕事を通して実現したい大きな夢や野望があったわけではありません。が、プロとしての自覚を持ち、若手らしく意欲的に仕事に向き合っていたつもりです。
プライベートでは、学生の頃から付き合っていた女性と前年に結婚。ありがたいことにその後すぐに第一子を授かった、そんなタイミングでした。
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妻の妊娠の経過は順調。
当然 上司をはじめチームのメンバーには、結婚や妊娠について報告済み。祝福していただいていたと思います。出産後には家族の時間を過ごすために、1週間のお休みをいただく方向で調整していました。(慶弔の際に使える特別休暇という制度がありました)
予定日を過ぎ、「いよいよか?」という夏の早朝、ついにその日はやってきました。
まだ日が出きらない薄暗い時間帯、妻に「陣痛きたかも。。」と揺り起こされました。スグに病院へ連絡し、あらかじめ用意してあった荷物を持って車に乗り込む妻とわたし。「陣痛が来たこと。付き添いと立ち会いの為、今日は休ませてほしいこと」を職場にメールしました。
そこからはひたすら我慢の時間。妻の妊娠中、夫には男性性の弱さを知る機会がそれこそ山のようにありますが、最終盤のここにきて一番 己の無力さを痛感させられます。文字通り腹を痛めて命懸けの出産に臨む妻に、せいぜい腰をさするくらいのことしかできないんですから。
結局、わたし達 夫婦の初めての出産はほぼ一日がかりになりました。早朝の陣痛開始から十数時間が経過し、真夜中も近い23時過ぎ、ついに長男の産声を聞くことができたのでした。
アクシデント
妻と我が子の無事を見届け、わたしが産院を後にしたのは日付も変わって夜中の1時近くだったでしょうか。(家族は泊まれない産院だったのです)
興奮と安堵と疲労とが混ぜこぜでいつまでも溶けないまま、ひとり帰宅し眠りました。
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子どもの成長はアッという間。。
長男誕生の翌日は午前中 出勤して仕掛かりの仕事を軽く片付け、午後にはまた産院へ顔を出す予定でいました。
寝ぼけ眼で出社の準備をしているとケータイに妻から着信が。ひどく落ち込んだ声でした。
妻 曰く、
昨晩わたしが帰り出産の諸々がひと段落した後、分娩台から降りる際に誤って転落。今も右腕を動かせない。頭もぶつけて少しの間 気を失った。これから検査のために整形外科と脳神経外科へ行ってくる。
生まれた赤ちゃんは元気そう。
とのこと。
ここでは要約して書きましたが、時折 鼻をすすりながらの話はひどくとっ散らかっていて、妻の混乱がよく伝わってきます。
その後の検査の結果、右腕は鎖骨骨折で全治3ヶ月。頭の方は特に異常ない。転落の原因は出産による出血と疲労による一時的な貧血だろう、とのことでした。
これには困りました。利き腕がつかえないと授乳やオムツ替えどころか、赤ん坊を自力で抱き上げることすらできないんですから。
妊婦さんにとって妊娠がわかってからの十月十日、元気に生まれた我が子を抱く瞬間をイメージしない日はないんじゃないでしょうか? つわりや胎動のない男のわたしですら、毎日のようにその瞬間を夢見ていましたから。それが叶わないと知った妻の落胆たるやいかばかりか。。
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この時はもちろん、妻も生まれたその日から抱っこできました
そして、精神的なショックの他にも私たちにはもう一つ、別の問題がありました。より差し迫った、現実的な問題が。
それは「腕が治るまでの3ヶ月間、誰が赤ちゃんのお世話するの?」という問題。最初の1週間は特別休暇を予定していたわたしが看るとして、それ以降は?
妻の親は、、仕事があります。
わたしの親は、、遠方です。(実家は札幌)
行政や福祉は、、生後間もない赤子を長時間・長期間 ケアしてくれるサービスは見つけることができませんでした。
いや、他人に頼るんじゃなく、親であるわたしが看たい!看るべきだ!
育児休業
そんな中、2009年に育児・介護休業法が改正されたことを知りました。
・子育て期間中の働き方の見直し
-短時間勤務制度(1日6時間)を設けることを事業主の義務とする
・父親も子育てができる働き方の実現
-父母がともに育休を取得する場合、14か月まで休業を取得可能とする(パパ・ママ育休プラス)
-配偶者が専業主婦(夫)であっても育休取得が可能に
・仕事と介護の両立支援
-介護のための短期の休暇制度を創設する
・実効性の確保
-苦情処理・紛争解決の援助及び調停の仕組みを創設する
それまでも育休(育児休業)の存在は知っていましたが、父親も取れるものとは、、恥ずかしながら知りませんでした。(調べてみると、育児・介護休業法は1991年成立。その3年後、1994年には男性社員も育児休業の対象とする改正が行われています)
父親でも最大1年間の育休が取れること、その間は給料に代わり雇用保険から育児休業給付金が給付されること、それは労働者の権利であり会社は対応する義務があること、、を知り、「これだ!」と確信したわたしでした。
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パパ 待望の(?)女の子😍
心に残る上司の言葉
長い前振りになってしまいましたがここにきてようやっと、冒頭の#心に残る上司の言葉 です。
すがるような思いで、「妻の腕が治るまでの3ヶ月間、育休を取らせてほしい」と願い出たわたしに対し、上司は苦虫を噛み潰したような顔をして言いました。
「君は仕事をなんだと思っているんだ? 自分のキャリアについてもう一度、真剣に考えなさい!」
はっきり「ダメ」とは口にしませんでしたが、事実上のNoでした。
社会人として経験を積んだ今のわたしなら、この上司の返答が不当なものだと分かるし、然るべき先にエスカレーションして戦うこともできるでしょう。
でも当時の、狭い世界で生きていたわたしにはそれができませんでした。
加えて、時代的な要因もあったかなと思います。
企業のコンプライアンス意識や多様性への理解は、まだ十分とはいえない時代でした。
2025年現在でも日本では男性の育休はあまり一般的なものではありませんが、長男誕生時、2011年にあってはほぼ幻。ユニコーンのようなものでした。(と思います。わたしは男性も取れることを知りませんでしたし、上司もそうだったんっじゃないかな? 仮に知っていたとしても、取得者を実際に目にしたことはなかったでしょう)
なにせ、当時はわたしの母や妻の母にまで反対されましたからね。まだまだ「男は仕事で家族を支えろ!」という時代だったんでしょう。娘が骨折してもね。。
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当時はビデオ通話といえばSkypeでした。LINEもZoomもまだ知らなかった
結局、腕の骨が治るまでの間 妻と長男が札幌のわたしの実家へ行き、わたしの両親がふたりの世話をすることで問題は一応の解決をみました。
妻は産後うつっぽくなりましたし、わたしも寂しかったですけどね。。
10年以上経った今でこそ「分娩台降りるときは気を付けて!」なんて笑い話にできますけど、あの3ヶ月間にわたしがした仕事はホントにわたしにしかできなかったのか?わたしがやらなきゃいけなかったのか? 今でも疑問です。
キャリアとは?
妻が自力で長男を抱けるようになるまで、結局4ヶ月ほどかかりました。
季節は夏から秋、冬へ。二人が横浜の自宅に帰って来たのは暮れもせまった12月になってからのことでした。
家族の平穏は戻りましたが、その後も問いは残ります。
「キャリアって一体なんだろう?」「自分にとってそれは、家族や穏やかな日常よりも大切なものなんだろうか?」
上司の言葉通り、真剣に考えたわけです。
結果、仕事も会社も自分にとって全く重要ではないという結論に達しました。
わたしの人生の優先順位は 家族 > 健康的な日常 > 仕事、お金 です。
会社は会社。仕事をしてお金を稼ぐところで、やりがいとか楽しさは二の次。
生きていくのにお金は必要だけど、必要以上のお金は要らない。将来の支出を予想して、十分に蓄えができたら仕事は辞める。できれば40歳までに辞める。と決めました。
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家族揃って、初めてのクリスマス・お正月を過ごすことができました
人生の優先順位さえ決まれば、あとはそれに従うだけです。
大切なものを大切に。些細なことでも必要ならば適宜こなす。その際はなるべく手間をかけず速やかに、できる範囲で楽しんで。
仕事はお金の為と割り切って周囲との摩擦や軋轢を恐れず、大切なポイントは譲らない一方でそうでないところはノンシャランと流すと。
おかげで、三男・長女誕生の時には長男の時に諦めた育休を取得できました。ふたり分、あわせて4年弱の長い育休です。育休明けは時短勤務を選択し、 ”40歳までに辞める”の目標も無事 達成されました。
おしまい
#心に残る上司の言葉 をきっかけに、わたしは会社員としてのキャリアを縮小させる方向へ明確に舵をきりました。 キャリアについて、人生について、真剣に考えたからこそです。(上司の意図とは違った方向かとは思いますが、それはそれ)
「キャリア」というと「出世」や「社会的な成功」と捉えがちですが、一歩引いてもっと大きく「自分の人生で大切なもの」「そこへ至る過程」と考えると、いろんな人がもっと自由にキャリアを描けるんじゃないかなあと思います。
このポストがみなさんにとって、キャリアについて真剣に考えるキッカケにでもなれば幸いです。
ではでは。
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