見出し画像

デザイナーの転職活動日記~その①どうして辞めなかったか

誰かの役に立つか全く不明なんだが、この春に「もう無理だ、次にいこう!」といよいよ思い立ち、転職活動をスタートした。

今思えば7年務めた会社は、最初から空気感にうまく馴染めずなんだか自分を見失ったままに過ごした7年だったように思う。これまで新卒で専門学校を卒業してから企画・デザイン職を約20年続けてきた中で一番空気がよどんでいたように思う(笑)

どうしてそんな会社に長らくいたのかと思うと、ずるい自分だどこかでいたのだろうと思うが、初めての妊娠・臨月だったタイミングで転職をしてきて、すぐに出産と育休を取った。産後、必死で保育園を探し、時短で復帰したのだがこれがなかなか慣れるまで大変・・というか仕事・赤ちゃんのお世話・家事などあまり余裕がなく、仕事がうまくいかなくても転職するような気力まで当然なかった。当時の記憶と言えば仕事上がりで必死で自転車をこいで保育園にお迎えに行く光景が思い出される。。これは世の中の小さな子供を持つお母さんなら理解してもらえると思う。
会社はわりと理解はあるほう、というか子供の体調不良で休もうがそれは別に良いが、営業でもないのに数字はどうなっているとか、営業成績ばかりを気にして、営業さんと一緒に追及されたりすることもあった。
要は営業成績・数字のことばかり矢面に上げられて、何を作るか、何を作りたいか、どんな風にして今後数字を取っていくのか、そんなことは二の次・ないがしろにされていたように思う。その蓄積によって自分らしさは失われて、まるで「飼い殺された象」(占い師が私のことをそう例えた笑)であったように思う。何か義理を感じて「あの人がいるから辞められない」とか「今すぐ会社が潰れるわけではないから今は動かなくてもいいか」などぬるま湯に漬かっていた月日だった。いつかどうにかなるかもと薄っすらと期待することもあったが、それと引き換えにパワハラ上司からのながーい話や多大なストレスや責任を押し付けられることも増えて最後のほうは精神的には普通ではなかったように思う。物作りがしたくてデザイナーになったはずなのに気がついたら、やらなくてもいいはずの業務を押し付けられ、精神論を語られ、何がどうなのかよくわからない、一つ分かっているのは全然楽しくはない、毎日明け方に目が覚める、ということ。。というような状況。

しかし、月日は流れその赤ちゃんだった子供も小学生になり、少し落ち着いてきた。そしてずっと何か変な空気にまとわれていた靄を作っている糸が切れたときに「あ、もうこれは無理だ。変えなきゃ」と思った。今年の3月の終わりだった。自分の中で何かが終わった感じが本当にして鳥肌が立ったことを覚えている。この日のことを夫に話すと「そういう感覚は大事にしたほうがいい」とも言われた。
今思うと、このなんだか変な7年間は唯一の救いは夫からの助言だったようにも思う。
続く・・・・

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?