Adoについて語ってみたー『根暗の落ちこぼれ』はいかに時代を制したか?ー
まさに「新時代」とでも言うべきか。
いやぁー、めちゃくちゃ大ブームですよね、Ado。
この時代、日本人なら誰しも名前は知ってるし曲も聴いたことはあるくらいメジャーな存在になってます。
時代を象徴するアーティストと言っても過言ではないくらい。
ただ、初っ端からナンですが、僕はどちらかというとAdoってニガテだったんですよ、歌い方と曲調がね。それこそ「うっせぇわ」と。
よく知らない割に、です。
みんなが盛り上がってるのにイマイチ盛り上がれず取り残されたような寂しい気分になってたんですが
自分が好きではないものに盛り上がるのは死んでも嫌なので、寂しさを貫き通すぞとか勝手に決意してましたね。
(先程からずっと過去形だな、と思った貴方はお目が高い)
そんな自分の気持ちとは別に僕はつくづく不思議だったんです。
そもそも
・なぜ自分で歌詞も曲も書いてない、しかも顔すら出さない人がこんなにもてはやされるのか
・何が人をここまで惹きつけるのか
・ただの一般人だった少女がいかにして短期間でここまでのスターダムを上り詰めるに至ったのか
色々不思議で興味があったので、自分なりに雑誌やネットのインタビューとか読んで調べて考察しました。
自分で言うのもナンですが、結構独自の切り口で語れてるんじゃないかと自画自賛してます(ホンマかいな)。
案外音楽ライターって真面目にAdoを語らないイメージありますし。
これを読めばAdoの人となり〜プロデュース/ヒットの特徴、画期性等を知れると思います。
なお、文字数は1万字越え、僕の記事史上最大の「超大作」になってます。
「お前、本当はAdoのこと好きなんじゃねぇの?」
とか言われちまいそうなボリュームです。
ち、違うんだからねっっ!
あ、あんなヤツ、ただの幼馴染ってだけなんだからっっ!
何でもないんだからっっっ!
※勿論幼馴染ではありません。赤の他人です。最後の文だけ本当です。
小ネタはさておき、濃厚な内容なのは間違いないかと。
一気見はしんどそうなんでのんびり見てやっていただければ幸いです。
① 「アーティスト」たる条件とは?
まず、僕が若い頃は自分で歌詞か曲書かないと立派なアーティストとは言えない空気がありました、多分今の若い人には想像つかないでしょうけど。
僕が10代の頃にめちゃくちゃ流行ってた女性アーティスト達、浜崎あゆみは歌詞を、宇多田ヒカルや椎名林檎、aikoは歌詞も曲も書いてたし、なんならセルフプロデュースすらしてる感もありました。
(みんないまだに現役なのも凄いですよね)
ちょっと前なら西野カナもまた歌詞書いてたし作曲もたまにしてました。
他にも倉木麻衣だって自分で歌詞書いてましたし、「ただのシンガーはアーティストを名乗るな」なんて空気すらあったと思います。
あ、安室奈美恵は別か。
でも実はこういう価値観もビートルズ以降生まれたものらしいですね。エルヴィス・プレスリーとかが流行ってた頃はただ歌ってパフォーマンスすりゃカッコよかった。
というかソングライターが自分で歌うという発想もなく歌手、作曲家、作詞家は分業されていた。
それもまた時代ですよね。
そもそも若い子からしたらエルヴィス・プレスリーだって誰だよって感じで、歴史上の人物とかと変わらないんでしょう。
なんにせよ、こういうアーティストの定義なり条件なんて、その時のトップアーティストが作るものなんでしょう。
そしてまたしてもシンガーってだけでも脚光と賞賛が集まる時代に。
というか顔すら出さないのに(ライブでは顔出ししてるそうですしネットにも写真が出回ってますが)大人気歌手とか僕が若い頃には本当に想像できませんでした(何回言うんだ)。
多様性の時代ですね。
② プロデューサーは誰だ?
でもAdoは(僕にはやかましいと感じられた)歌唱力だけでここまで大人気歌手になったわけではありませんよね。
あの初期に顕著だった煽情的な歌詞や攻撃的かつキャッチーなメロディー、イラスト担当ORIHARAによるポップでありながら不穏なアートによって醸し出される鬱屈したダークで反逆者のような世界観
その不遜とも言える世界観に魅了された若者も多いのではないでしょうか
裏には緻密なマーケティングと有能なプロデューサーが潜んでいるはず、、、と思いきや
軽く調べて驚きました。なんと彼女、
プロデューサーがいない
みたいですね。
勿論、「公式」にいないとされてるからといって実際にいないということにはなりません。
そんな言葉通りなほど世の中クリーンじゃないですが、かといって確かにここまでのヒットを狙って出せるかは疑問でもあります。
さらに、所属事務所がクラウドナインという、一般的には聞いたこともないしAdoが最大のヒットアーティストの事務所に卓越したプロデューサーがいるとも思えません(失礼)。
そんな人がいたらAdoだけではなく色んなアーティストが続々とヒットしそうですしね
小室哲哉や中田ヤスタカのように。
ただ、所属レーベルは大手ユニバーサルミュージックなので、レーベル側に優秀なプロデューサーがいるのかもしれませんが。
判断は保留です。
ただ、セルフプロデュースにしろそうでないにしろ、彼女自身にはどういう戦略や計算があるのか知りたくてインタビューを読んでみようと思い
ロッキングオンジャパン(以下ロキノン)2023年1月号を中古で買いました。
あと、判断が保留の分、今後プロデュース能力に関する記述をする際、いちいち「Adoおよびプロデューサー」と書くのはもっさいので、「Ado側」という表現を用います。
③ 生い立ちとパーソナリティー
ロキノン特有のヨイショ体質というかエセ革命かぶれ的な文に辟易しつつ、インタビュー序盤から衝撃の事実が。
なんとAdo、もともとはあの反逆的でダークな世界観で売ってる割に幼少期はディズニーが大好きでプリンセスになりたかったと告白してるんです。
・・・・・・もう一度書きますね?
ディズニーが大好きでプリンセスになりたかった
らしいです。
しかもプリンセス願望が強くて自分を客観視できず、フリフリのドレスみたいな服で小学校の入学式に行ったこともあるとか。
僕は思いました。
おいおいおい、恥ずかしいぜAdo。
君は時代の反逆児なんじゃないのかい?
てかイメージと違くね?
でもなんかこの時点でむしろ好きになりかけましたね。
セルフプロデュースとか関係なくイタい過去を暴露しちゃう正直さというか漢気を感じました。
ええ、「男」ではなく「漢」です。
といっても本人としてはサラッと言ってのけてたりするんですが。
ちなみにフリフリの服で入学式に行って以降、周りとの温度差にようやく自分が「やらかした」と気づいたらしく、以降はボーイッシュな服装になっていったとか。
フリフリの服は貫けなかったそうです。
案外ハートは普通みたいですね。
さらにインタビューを読み進めると、落ちこぼれだったと告白しています。
しかも謙遜とかではなく、「頭も悪く追試も多くて1人だけ延々と再テストを受けてた」とか。
とか言って実はかなりの進学校に通ってた、という元々のハードルが高いだけの結局頭いいパターンもありますが、高校も偏差値非公開の定時制です。偏見かもしれませんがワケありなイメージですね。
しかも色々とイジられからかわれてもきたらしく、言い方はアレですがガチの負け犬っぽい。
でもこんなことを正直に告白するのは勇気がありますし誠実さも感じられますね。
さらに案外素直な性格なようで、インタビューでも驚くほどフツーというか、あの曲調や歌い方の不遜な感じは一切ありません。
どうなってるんだ。
さらにX(旧Twitter)でもマイペースというか軽く引くほどのヲタクっぷりを発揮してるというか
セルフプロデュースとかそもそも考えてるのかな
とすら感じるほど陰キャヲタク。
でも今の時代、上っ面でカッコつけるよりむしろ自然体な方がウケると思うので、たとえヲタクでも本当にヲタクなら別に自然だし、むしろそれを隠さない所に好感を寄せられているのかもしれません。
ただ、自分に昔から自信がないと告白する一方、ディズニーにはかなり影響を受けており、
自分の人生は必ずハッピーエンドになる
と信じているそうで、どうやらネガティブなだけの人ではなさそうです。
インタビュー読む限り、アーティスト然としてないというか普段はネガティブながら飾らない性格もまた人を惹きつける要素なんでしょう。
僕もこうした性格を知ると、以前のような拒否反応はなくなりました。
そもそもAdoが大ヒットした「うっせぇわ」は作詞作曲がsyudouというボカロPのもので、曲も歌詞も彼の世界観を色濃く反映したものです。
恐らくそのイメージに引っ張られて僕のように毛嫌いする人も多いかもしれませんが、彼女自身はそこから来る反抗的だったり孤独だったり破天荒な自身のイメージにはインタビューでもキッパリ否定しています。
Adoは「うっせぇわ」の曲自体には共感もしてて好きらしいですが、自身のイメージまでその曲に縛られるのは嫌みたいですね。
実際、そうしたイメージが過度につくのが嫌なのか彼女は「うっせぇわ」以降はsyudouと「一度も」タッグを組んでいません。
こうしたチョイスはやはり彼女自身がセルフプロデュースに気をつけている証拠だとも言えます。
あれだけ大ヒットしたならこの3年でもう一度組みそうなものですが、もっと歌と活動に幅を持たせるためか一度きり。
そこがAdo側のプロデュースの巧さだと言えるかもしれません。
結果、ロキノン読んでAdoの人となりについては理解の手助けになりましたが、セルフプロデュース能力や戦略についてまで知ることはできませんでした。
というかロキノンの悪い癖で、自分語りが中心過ぎて本稿を書くのにあまり参考にはならなかったですね。プリンセスになりたかったくだりは面白かったですけど。
彼女の歌への考え方やセルフプロデュースやら戦略性やらは語るに値しないと考えてるのか、それともそういった計算を深掘りするのはアーティストのピュアさが穢れるとでも思ってるのか
相変わらず売れてるアーティストをもてはやすだけのクソつまんねー雑誌だなと確認しました。
ロキノンの愚痴はさておき。
そうした戦略性やヒットの要因については他のネット記事を読んだり、曲を聴き、楽曲の作詞作曲陣を見て探り、自分なりに彼女が大ヒットした理由を分析してみました。
④ 大ヒットの3つの理由
時流に乗れたこと
センス
そして歌唱力です。
当たり前のことだろ、と思われるかもしれませんが詳細に語ります。
あと、色々ちゃんと調べて、改めて思ったのが
大人のマーケティングに乗っかって成功しただけのラッキーガールでは全くない
という事ですね。
自分のナメた誤解が解けたのは収穫でしたね。
やはりAdo自身にも卓越したセンスはあると思います。
それも恐らく計算ではないものです。
④-1 時流に乗れた
まず一つ目ですが、時流に乗ったというのは、やはりボカロPの活躍でしょう。
YOASOBIのAyaseも米津玄師もボカロP出身ですし、彼らを筆頭にボカロPが活躍することでちょうどボカロ的な音楽とメインストリームの音楽の境界が曖昧になってきた頃に、Adoが登場した。
最近なら「呪術廻戦」のOPで話題になり紅白出場も決まったキタニタツヤもボカロP経験者ですね。
恐らくボカロPの一般社会での活躍と楽曲の浸透がなければAdoのサウンドはまだマニアックなものとして一般人には映っていたはずで、ここまでのポピュラリティーは獲得できなかったでしょう。
そして日本社会の先行きが少子高齢化といい怪しく明るくはない、物価高や不況の世を反映した不穏なサウンドで鮮烈なデビューを果たせた。
Adoのメジャーデビュー当時はコロナ禍真っ只中でしたしね。
みんな外に出れない、ロクに飲み歩けない遊べないとストレスがかかりまくってました。
恐らく「うっせぇわ」も時代が違えば全く違う受け入れられ方だったと思います。
まぁ、こういうのって結局卵が先かニワトリが先か、みたいな話ではあるんですが。
時代がAdoを産み出したとすら言っていいかもしれません。
また、やはり彼女がよりビッグなアーティストになるきっかけだったのは間違いなくONE PIECE film REDの影響がデカいでしょう。
この楽曲もタイトルは「新時代」で、他の楽曲の歌詞といいそれまでのAdoの革新的、先導者的なイメージと奇しくも(?)合致するものでした。
イメージの一致だけでなく、バラード、ロックと幅広いジャンルの曲は世間のAdoに対する間口を広げ、より彼女が大衆性を獲得するアシストをすることにもなりました。
作曲陣もすごかった。
今はメジャーに活躍してますが当時はブレイク間近だったVaundyやMrs.Greenappleをいち早く起用し、他にも中田ヤスタカ、秦基博といったメジャーどころに、アニメ界の人気劇伴家、澤野弘之もいます。
結果、超人気マンガの原作者監修による劇場版とベテランから気鋭の作曲陣、Adoの歌との相乗効果もあって、映画は再上映を含めて興収200億を突破するメガヒットに。
ただ、確か映画公開前に事前に楽曲は色々発表されたのですが、公開後に比べるとそこまでチャートアクションは圧倒的ではなく大ヒットはしてませんでした。
やはり映像との相乗効果は凄まじいものがあるのでしょうね。
こういった話題性あるハイクオリティな企画に丁度起用されるのもまた時の運としか言いようが無いですよね。
④-2 作詞作曲陣選びのセンス(と運)
勿論彼女は何度も言いますが上手く時代に乗れただけのラッキーガールではありません。
いよいよセンスについてですが、1つにタッグを組む作曲家や作詞家選びに表れていると思います。
どこまで彼女にそういった自由度があるのか知りませんが、「うっせぇわ」の成功に捉われず縛られず、かといって無視することもなく絶妙なバランスで幅広く楽曲を歌ってるなぁ、と思います。
インタビュー等を信じるなら恐らくAdoとしてはやりたいことをやってきただけですが、それが持ち前のセンスの良さでマーケティング的にも最善だった、という稀有な例でもあるというか。
これは一つの大きな特徴なんですが、
Ado側(上記のようにAdoおよびプロデューサーのことです)は売れてからメジャーな作曲家にしか頼まなくなるということもなく、ボカロPとも変わらず積極的に仕事してるんですよね。
というかメインがボカロPなんです。
しかもそれでポピュラリティが維持され、いやむしろ拡大している。(ONE PIECEの影響も勿論ありますが)
最近にして最大のヒット曲「唱」の作曲を手がけたのもメジャーな活躍をしているとは言えない、ボカロPのGigaと最近はアニソンを手がけたりもしてるTeddyLoidという一般層には無名のクリエイター達です。
(ただ、一般層には無名なもののTeddyLoidはDJもこなし、ゆずや香取慎吾といったメジャーなアーティストに楽曲提供したこともある実力派ですが)
これは凄いことでもあって、そもそも大ヒットした「うっせぇわ」の作詞作曲担当のsyudouもまた当時(今も)一般層には無名でした。
彼らのチョイスが上手いのかAdoとのコラボが絶大な効果があるのか理由は不明ですが
まるでAdo自身が有能なプロデューサーのごとく一般的には無名な彼らの楽曲を大ヒットに導いているんですよね。
海外であればMADONNAがそのシーンのイキのいい一般的にはまだ無名なアーティストをイチ早く作曲に起用するのは有名ですが、日本で彼女のようなことをして大ヒットするのは恐らくAdoが初だと思います。
そもそもsyudouやTeddyLoidといったアーティストは起用時も特別ヒットしていたり注目を集めていたわけでもないので
Adoの作詞作曲陣選びのセンスと運がずば抜けていると思います。
もともと「唱」の作曲コンビとは過去に「踊」という曲でもタッグを組んでかなりの成功を収めてました。Ado側は彼らを見込んでか再タッグを組み、結果「唱」は「踊」すら遥かに超える大ヒットに。
USJのハロウィンイベントのタイアップがついた楽曲ですが、そのお祭り騒ぎにうってつけの曲です。
この曲は僕ははじめ
「サビがB’zの『ウルトラソウル』のパクリじゃねぇか」
と思って敬遠してたんですが、通して聴くと面白い。
インド音楽やTRAP、ディープハウスといったダンスミュージックと色んなジャンルの音楽をミックスし、Adoも声色を七変化とばかりにいくつも使い分けてて曲自体転調も多く、サビ以外は全て展開が違うんですよね。
聴いててもとても面白いし中毒性があります。
上記のイベントともピッタリということで、
ONE PIECEに続きまたしても相乗効果となった印象ですね。
また、この曲の作詞はトップハムハット狂という本職ラッパーのやはり一般層には無名のアーティストです。最近はいわゆるVtuberや歌い手、ジャニー◯にも楽曲等を提供してるようですが、Adoとのタッグは例のONE PIECE映画以来2度目です。
恐らくは彼の書くリリックと自身の歌との相性のよさを感じたのではないでしょうか。
実際、この「唱」の歌詞は歌詞だけ見ると全くの意味不明なんですが、音楽や歌と共に聞くと語感が曲の雰囲気に合ってて気持ちいいんですよね、ラッパーだけに韻もちゃんと踏んでますし。
一般的には無名なアーティストを積極的に起用し、大ヒットに導くAdo。
その言わば評価されなかった、軽視されてきたものを評価させる行為自体がある種の復讐というか反逆に見えるのも面白いですね。
勿論、メジャーな楽曲提供者として、B‘zもいますし、椎名林檎もいる。メジャーになってもVaundyも起用する。
メジャーもマイナーも関係なく縦横無尽に作曲してもらう姿勢はなんだか痛快ですらあります。
もし仮にAdoが売れ線や流行りを追い、それに乗るアーティストを目指すだけなら、さっさと出自を捨ててセルアウトしてたでしょうし、そうなると揶揄されもしてここまでメジャーになることはなかったとも思います。
人によってはメジャーになったらメジャーな作曲家連中にしか依頼しなくなるとか、売れ線を意識して失敗したりします(lowhighwho?所属時代は凄かったdaokoはそうだと思ってます)が
AdoはもともとアニメやボカロPの曲自体が大好きだしリスペクトもあるからそんな失敗はそもそもしないんじゃないでしょうか。
自らの出自には忠実ながらポピュラリティを拡大していく理想的な広がり方をしています。
あくまでも自分語りを垂れ流すロキノンのせいで、あるいは真面目にAdoを語り、聞こうとしない音楽シーンのせいで
その辺の思惑や戦略は全くわかりませんが、僕の勝手な印象だと計算とかじゃなくただやりたいことをやり、歌いたい歌を歌い、時流と天然で成功を勝ち取った気もします。
④-3 ネーミングセンス
さらに、ネーミングセンスは間違いなくあると思います。
まず、アマチュア時代からのアーティスト名Adoも狂言用語で「脇役」のことで、
そもそも狂言から取るのが渋い。
しかも主役のシテじゃなく脇役のアドの方という。
昔ディズニープリンセスに憧れていたのが嘘のようなネーミングセンスですよね。
1stアルバムのタイトルも「狂言」で、初ツアーのタイトルは「蜃気楼」
「アルバムタイトルの『狂言』は自分のアーティスト名の由来だからそこからつけた」
とインタビューでは軽く語ってましたが、
狂言には単に芝居や演目の意味の他に「人を騙すために仕組んだ作り事」の意味があります。
ツアータイトルも
「私が辿り着くべき場所は、まだぼやぼやしてるけど(中略)あそこの蜃気楼のほうに行けばいいんだ、みたいな。そういう感覚だなと思って『蜃気楼』にしたっていう」
と語ってますが
蜃気楼という現象は言ってみれば光の屈折により「虚像が見えること」です。
やはり意識的にせよ無意識にせよどうにもどこか人を食ったようなセンスの持ち主だと思いますね。
こういったネーミングの含みもまた人を惹きつける要素なんじゃないかと思います。
生まれ持ったセンスの良さは感じます。
さらに言うなら自分の歌声の強みと弱みをわかってる上でそのセルフプロデュース力があるというか。
④-4 歌唱力ーAdoは「やかましい」のか?ー
やはりAdoと言えばあのがなり歌唱でしょう。
あの歌い回しの逆ギレMAX感というか、ストレスを抱えまくって暴発してる感じが今の時代を反映しているんではないでしょうか。
(余談ですが逆ギレ感がウケてるという意味で今ならNINE INCH NAILSやTHE VINESが再評価される気がしますね)
あまり綺麗な歌声とは言えませんが、パワーがあります。
彼女の歌が「やかましい」と感じられるのは難易度の高い歌を全力で声を張り上げがなって歌ってるからでしょう。
例えば早口でまくしたてるように歌うのはYOASOBIも共通してますが、ikuraが丁寧に歌うのに反してAdoは全力でがなって歌うのが特徴で、そこがファンにもウケてるんだと思います。
だからファンじゃないとその全力の歌いっぷりにヒくというか、元々の曲の特徴もあって「うっせぇわ」となる。
このがなり歌唱は、無名のアマチュア時代に「キライ・キライ・ジカヒダイ」という和田たけあき(くらげP)による曲を歌った時に初めて意識したらしく。
他の歌い手が原曲を意識して可愛らしくカバーする中、歌詞の尖った内容からAdoはがなりの要素を強めて歌ったところ、いつもより反響が大きかったことから、がなり歌唱が自分の武器になるのではと初めて意識したそうです。
自分の持ち味を自覚することは大切ですね。
僕も「やかましいな」と思ってましたが慣れてくると、結構声色を使い分けてたり逆にその全力さや必死さが面白くなってくるんですよね。
今でも年代問わず普遍的にウケる歌声とまでは思いませんが、やはり今の時代を象徴する歌声であることに間違いはなさそうです。
⑤ Adoの賞味期限
さて、今まで割りかし絶賛してきましたが、唯一気になることはがなり歌唱の有効期限です。
デビュー当時は女子高生だったAdoも今や21歳。立派な大人です。なんなら成人年齢が18歳に引き下げられたのでとっくに大人と言えるかも。
となるとやはり気になるのは例のがなり歌唱はいつまで通用するのかってこと。1番の特徴であり武器ですが年齢をどんどん経てもがなっているようでは痛々しいだけです。
しかしがなり歌唱のないAdoなどネタのない寿司、夏フェスのない夏、四次元ポケットのないドラえもん。
は言い過ぎかもですが、がなりばかりに頼ってらんないはず。
しかしそんなことはとっくにわかってるかのように最近では「向日葵」でがなりのない感動的なバラードを歌い
直近の「Adoの歌ってみたアルバム」では、なんと可愛らしい歌声を披露したりと、やはりがなり脱却を目論むかのごとく色々な歌声を聴かせるようになってきています。
流石、ぬかりがないですね。
⑥ まとめ
Adoの大ヒットは
「時流」「センス」「歌唱力」
によるものだと思います。
ただ、僕はAdoってここまでヒットしてても実は王道ではないと思うんですよね。やはり「陰」のイメージがあるというか、最近は「陽」の曲を歌ってたりポップソング的なものを歌ったりしてますがチャートアクションもよくはない。
王道ではないから売れない、ではなく王道ではないからこそウケている。それがここまでメジャーな活動をしてるのだから驚きです。
音楽評論YouTuberのみのは、
「米津玄師、あいみょんのヒット以降はメインストリームの音楽がオルタナ寄りになった」
と語っています。
オルタナというのはロック用語でオルタナティブロックのことですが、マイナー(少数派)と言い換えても問題ないかもしれません。
だから音楽の人気や流行の傾向もどんどん変わっていってる。
「歌は世につれ世は歌につれ」と言いますが、まさにそれ。
音楽の世界でもパラダイムシフトというのは起きるんですよね。
今の王道は「陽」ではなく「陰」なのかもしれません。
そもそもAdoのような若手のアーティストに勢いがあるのは嬉しく思う部分もあるんですよね。
特に僕が大学生〜社会人数年目の頃は若手アーティストにあまり元気というか覇気がなかったと思います。
でも今は、年齢的にはおっさんですがキャリア的には若いKing Gnuはドームクラスのバンドにメジャーデビュー数年で登り詰めましたし、担当した「呪術廻戦」のOP曲は世界でも聴かれています。米津玄師はアメリカでも大ヒット、藤井風は「死ぬのがいいわ」が世界中で聴かれました。
YOASOBIは「アイドル」がアメリカ以外のビルボードのグローバルチャートで1位になりました。
女性に限ってもあいみょん、miletがメジャーに活躍してます。
というか日本のアーティストが世界でも聴かれるようになってるんですよね。
勿論Adoも例外ではなく、来年には国立競技場2days
できるほど日本のトップアーティストになっています。
また、ONE PIECEの効果でアメリカの大手ゲフィン・レコードから海外デビューが決定、ツアーも決まってます。
日本の若手アーティストが元気どころか世界で活躍しかけている。勿論、アニメとのタイアップが大きい部分もありますが。
どんなジャンルでも若者が活躍すること自体はとても健全で喜ばしいことだと僕は思うので、今の若手アーティストの群雄割拠の状況にはとてもワクワクしています。
勿論Adoのことも応援したいと思います。いっそ世界のプリンセスになれるといいですね。
おまけ 「青いバラ」の理由
Adoのアーティスト画像には象徴的に青いバラが使われています。
そこにはAdo自身のこだわりがあるらしく、彼女のポジティブさというかロマンチックな部分が詰まってると思うんですね。
それを上記のロキノンのインタビューから引用して本稿のしめくくりとします。
「もともと青色が好きなんですけど、バラ=赤っていうイメージがあったので、普通に赤色にしてた時期もあって。
でも、なんか赤ってしっくりこないなって思って、じゃあ青にするか、って軽い感じで。
それで意味を調べてみたら、2002年に青いバラが誕生して、その瞬間から花言葉が『不可能』から『夢叶う』になったって知って、
これじゃん!これでいこう!ってなったんです。」