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ママ、パパと呼ばれたくないこと
桃山商事のスピンオフpodcast オトコの子育てよももやまばなし#32 #33を聴いた。
ママと呼ばれたく無い気持ちは私にもあった。大きな理由は二つあって、物心ついてから両親をパパ、ママ呼びしていなかったから馴染みがない(3歳頃まではパパ、ママと呼んでいたらしい。記憶には無い)、理由は分からないがママという響きが居心地悪かったから。今考えると、後者は「お母さん」よりも「ママ」の方が母親役割(母性神話的な)が強調されているように感じていたからだと思う。しかしお母さんもママも言語が違うだけで意味は同じだし、文字にすると母という漢字が与える母性的なるもののインパクトは強いと思う。夫も出産前は「パパって呼ばれるのはちょっと違うな」と言っていて、言語化できる理由はないのだけど私と同じく漠然とした違和感があったようだ。
しかし、いざ子が産まれると状況は一変した。子どもが喃語を発しはじめると、ぱぱぱ、んまんま、んー、など様々な音を出すのだが、そこに「おかあさん」の「か」とか、「おとうさん」の「と」は存在しなかったのだ。勿論、口腔内や咽喉部の発達に伴って出せる音が変わっていく事は理解していたのだが、目の前に存在する丸くてか弱い存在が囁くように発する言葉に私と夫はついつられてしまったのだ。「今、パパっていったよね?」「ママだよ」と。
子どもは3歳になり自我もはっきりしてきて、一人称、二人称を使い分け始めた。女性の養育者である私は「ママ」、男性の養育者である夫は「パパ」。もう居心地の悪さはないし、今はお母さんというよりもママの方が短くて使いやすい。しかしどこかで、家族が歳を重ねるにつれて、誰かが「ママ」「パパ」に違和感を覚えるかもしれないとも思っている。その時は私たちが合意できる呼称をお互いに使って心地よくいられたらいいなと思う。
私の友人の母親は、ママ・お母さんと呼ばれるのは嫌だと子どもたちに公言していて、「◯◯ちゃん(夫が妻を呼ぶ時のあだ名)」と呼んで、と言っていたそうだ。なので、友人もそのきょうだいも母親を「◯◯ちゃん」と呼んでいる。20歳だか21歳の大学生だった私が初めてこのエピソードを聞いた時、違和感もなければ賛同もなく「そうなんだ」とただ事実として受け止めた記憶がある。しかし、このエピソードを未だに覚えていて、子どもを育てるようになってハッとしたことがある。もしかしたら、私もそれを望んでいたのかもしれないと。
家族ってパートナーシップ、養育者と養育される者、かつて養育されていた者がいる複数の集団…等々そういう人間で構成されていて、役割は性別や関係性(母、父、長子、次子等)だけで固定することは難しいと考えている。それぞれの家族にその時々の役割(養育者が養育するために就労する、制度を利用して就学する等)はあるだろうけど、いつでも大切なのは、一人の人間として対等に関わることに尽きる。母・ママ、父・パパではなく家族がお互いを「個人としての名」で呼び合うことは、一つの可能性として私の中に静かに織り込まれている。