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【18週3日】入院時間に思うこと

どんなキーワードで検索していたか覚えてないけど、
入院前に、生まれてきた赤ちゃんへの
準備を色々調べていた

赤ちゃんにできることを している時間
それが少なからず心が癒える時間だった
そのお別れを選んでいるのは、
だれでもない私たちなんだけど
という矛盾を感じつつ。

お名前をつけてあげよう
お洋服を縫ってあげよう
同じ体験をしたママさんが縫った
とても小さなベビー服を送ります、という
ボランティア団体の方も見つけた

いろんな 情報にたどり着くことができた
大得意ではない手縫いをしてお洋服を作りたい、
そう思って手芸屋さんに行ったとき
お顔や姿を想像しながら、布地とフリル、縫い糸も
コットン100%の方が肌触りいいだろう、と
布地に合わせた色の糸を選んだ。

あの時間は本当に久しぶりに
癒しを感じる時間だった。
思えばNTの厚みを初めて指摘された3/4から今まで
赤ちゃんのためだろうか?を感じる
イベントはすべてつらかった

3/4(土) NIPT検査を受けにいくことを決めた瞬間も、
3/8 (火)NIPT検査を受けに大学病院へ向かった足も、
3/22 (火)NIPT検査結果を聞きに行くという行為、
     まさか陽性といわれ羊水検査を受けると決めたとき、
3/30 (水)羊水検査を受けに行き
4/2 (土)羊水検査の結果が速報で出た、とすぐ病院へ行き
4/5 (火)人工中絶の予定を組みますと産院に向かった足、
4/13 (水)前処置のラミーを入れるために中絶承諾書を受付で
     手渡した私の手

検査まではまだ、多少外から促されている流れがあった。
産院から「受けてみたらどうですか?」と言われて
受けにいく、結果を聞きに行く、という流れがあった。
命の選択を考えること、
毎日頭が休まらずきつかったけど、
まだ
「ひとまず、次の予定のときまで、
なるべく穏やかに過ごそう」
「赤ちゃんにいいものを食べよう」
「声をかけてあげよう」と
気合で保てた部分があった。

中絶の予定を確認しに行く、というその足は
本当に自分の中で訳が分からなかった。
なぜ、私は「おろすのをやめよう」が
言えないんだろう。。
誰に促されるわけでもなく、
完全に自分たちで決めて今
病院に向かっている。
一歩一歩病院に向かって歩いているのも、
私の意志で足を動かしている。
その行動、て赤ちゃんを終わらせるために
と思うと、あの往路はとてもきつかった

初めて疑いを言われてから2か月弱、
心身共にクタクタになっていた。
主には心か。変な夢も連日見るようになった。
朝起きると「現実か・・」とまた一日頭がフル回転し
答えのわからないことを考える時間が始まると思うと
布団から出るのもグッタリだった。

一人夜中に嗚咽をはきながら泣くことが
こんなにもあるんだ、40代にもなって。
時々、頭のブレーカーが落ちるような感覚で、
「あ、だめかも」と気を緩めると、
涙が止まらなくなっていた。

そんな毎日の中で布を選んで、
という手芸屋さんの時間では
何とも穏やかな気持ちでいられた。
本当に久しぶりだった。
考えるとおかしなことなんだけど、
たくさんおなかの中の赤ちゃんを
考えながら選んだ。

あまり布が多少できたから、枕も作った。
まだ余り布があるから、
何か自分の持ち物の一部として
持ち歩きたい。
昨年10月に7か月でお空にいった娘の
骨壺にも、下に敷くシートか、クルミボタンを
つけてあげる、とか何かしら
この布を近くにおいてあげたい。
この柄の洋服を見つけたら、一緒に遊んであげて。
あなたの兄弟だからね、仲良くしててね。
お母さんがお空に行くときがきたら、
みんなで会おうね。

ラミー8本が疼いているのか、多少鈍痛がある。
少し昼寝でもしておこうかな、
夜は夜で眠れない気がする。
半年前の人工死産の時もそうだった。


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