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私だから出来る事

最近、というか、少し前からなんですが、時々思う事があります。

昨年の春頃から、本当に偶然なんですが、
自分が母子家庭の出身である事
父親のDVが凄まじかった事
養育費の不払い問題に巻き込まれていた事
ヤングケアラーであった事などを打ち明ける機会に出会いました。

最初は、共同親権のいろいろな報道や情報に触れて、「なんで子どもの立場からの意見がないの??」と思った事がきっかけでした。

当時いろいろ迷いましたが
かつての子どもの立場から思う事をnoteに書きました。
私は法律の専門家でもないし、離婚理由というのは本当に様々だと思うので、
あくまでも私個人の体験から見えた事なんですが、
「両親のDVを見て育つということはこういう事なんだよ」とか
「子どもの貧困•体験格差はこういう関係があると思う」とか
「子どもの貧困は子どものせいじゃない。自己責任という言葉で終わらせないで欲しい」
「子どもに必要なのは必ずしも"両親"じゃなく、安心して自分の未来を考えられる環境だと思う」
というような事を、少しでも伝えたくて。

そしたら、予想外に反響を頂き、とてもビックリしました。

知らないんだ。
皆、知らないんだ。

かつての私のような状況に置かれている子は、確かに少ない方がいいに決まっているんだけど

今現在、かつての私のような状況に置かれている子は、今も社会から気付かれずにいるんだ。

そう思いました。

普段の私はとても適当で、変なギャグも言うし、普通の普通のアラフォーで、そんな家庭で育った人だとは思われないと思います。
言うきっかけもないし
言う必要もないし
何なら墓場まで持っていこうと思っていました。

でも、昨年で、ちょっと考え方が変わりました。

伝えるきっかけがあれば伝えよう。
ちゃんと声を届けよう。

だって、今現在子どもの立場で苦しんでる子たちは、伝える手段を持っていないかもしれない。知らないかもしれない。

言わないと
「両親のDVを見て育つ子ども」も
「子どもの貧困で意欲が奪われる子ども」も
いない事にされてしまう。

「生きるために」何でもないフリをしながら、
気持ちに蓋をして、感情に蓋をして、
学校と並行しながら
ただただ日常業務として、何も感じないプロになって、家事やアルバイトをしている子どもが
全くいない事にされてしまう。

ちゃんと、そこにいるのに。

だから、少しでも私の体験を伝える事が、私がその子達に出来る事なのではないか
そう思うようになりました。

まだまだnoteに書いてない事がたくさんあります。
読む人を選ぶというか、
読んでいて苦しく辛い思いをする人もいるだろうな、と思う事もありますし

とても個人的な事を書かないと伝えられない事もあり、そうすると私の身近な人に影響があったら困るので

どういう風に書くか、伝えるか、等はいろいろ考えようと思いますが

少しずつ、書ける範囲で、ちゃんと書いて残そうと思いました。

なかった事に、いない事に、させたくない。
絶対に今もいるから。

そして、「そこから抜け出す事も、ちゃんと出来るんだよ」と、その子達に伝えたい。

そう思うようになりました。

そういう体験をしてきたからこそ、今の私が出来上がっている。

絶対に絶対に戻りたくないし
もっと温かい家庭に生まれたかったけど

あの毎日で培った価値観は
今の私を作った、唯一無二の、私だけの武器で、私だけの魔法の眼鏡で。

そう思えるまで何年も何年も、何十年もかかったけれど
何ならその武器は、いまだに私自身を傷付ける事もあるけれど
その眼鏡が、多くの人が気付かない事を私には気付かせてくれる。

そう思えるまで本当に長かったけど、
これからは、時々はこの武器で切り開いてきた世界と、眼鏡から見える世界を
世の中にちゃんと伝えていきたい。

それが、かつての私と同じ状況にいる子たちが、周囲に気付いて貰えるきっかけになったらいいな。

かつて、深い穴の中で誰にも気づかれなかった私に、誰かが気付いて、はしごやロープを投げてくれますように。
横穴を掘ってきてくれますように。
降りてきて肩車してくれますように。

その子達が「ここにいるよ!!」と伝えるのは、きっと私だから出来る事だと思うから。


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