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小説 「聖を殺した」 6

             

 歴史にはときおり、謎の人物が登場する。
 史実の中に一度か二度、名前が出てくるが、どんなに探っても、出自も経歴も、その後の消息も不明、という人物だ。
 歴史のきわめて重大な局面で、彼らはチラリと姿を見せ、すぐに跡形もなく、かき消える。消え去った後は、だれも彼らを話題にしない。そんな人物など存在しなかったかのように、その後の歴史を繫いでいく。
 しかし、いなかったことにはできない。どうしてもできない。
 なぜなら、過去のある局面で、彼らは確かに存在し、重大な役割を果たしているのだ。その存在と役割なしに、歴史は次代に続いていかない。

「高向王(たかむくおう)」は、そういう人物のひとりだ。

 高向王の場合、出自の記録は残されている。
 聖徳太子の父、用明天皇の皇子か孫である、という、あいまいな記述だ。
 用明天皇の皇子なら、聖徳太子の兄弟だが、その名が太子の記録の中で語られることはない。
 そして、肝心の天皇家の系図の中に、高向王の名前はない。用明天皇の子としても孫としても、彼は存在しないのだ。
 
 この高向王が、実は聖徳太子その人ではなかったか、という説がある。高向王という名が、聖徳太子の数ある名前のひとつではないかというのだ。   

 もちろん、正史〈日本書紀〉の記録ではない。民間伝承のような、亜流の歴史だ。

 この説の成否は、とても重大なことのような気がする。
 パソコンの前で、瑞希は思いを巡らせた。
 奈良から帰ってきて、ついさっき、喪服からシャツとデニムに着替えたばかりだ。
 部屋には西日が猛火のごとく射し込んでいる。
 備え付けのエアコンは、型が古く、唸るばかりでちっとも効かない。
 暑い。それに、疲れている。

 それでも、高向王のことが頭から離れない。
 はるか昔の、天皇家の系図のことではない。それはどうでもいい。どうでもいいが、この場合は、そこから始めなければいけない。

 瑞希は、机の上で山積みになっている資料本を纏めて脇の退け、代わりに、コピー用紙を一枚広げて置いた。
 ペンで大きく「聖徳太子(高向王)」と書いた。
 まず聖徳太子だ。
 しかし、ここでは聖徳太子が主人公ではない。それが肝心なことだ。

 聖徳太子(高向王)の、聖徳太子の左に横棒を一本引き、太子の4人の妻の名前を、横一列に書いていく。

 橘大郎女。 
 菟道皇女。 
 刀自古郎女。 
 菩岐々美郎女(ほききみのいらつめ)

 次に、(高向王)と記した右側に、新しい横線を引き「宝皇女(たからのひめみこ)」と書いた。

 宝皇女。高向王の妻の名だ。高向王が聖徳太子の別名なら、宝皇女は聖徳太子の5人目の妻ということになる。
 そして、用明天皇の子とも孫ともいわれる高向王は、実は、歴史の中に、この宝皇女の夫としてだけ登場するのだ。

「宝皇女」の左に「舒明天皇」と書き記した。

 高向王と宝皇女が、離別したのか、死別なのか、史実には何も残されていない。ただ、宝皇女は、舒明天皇と二度目の結婚をしている。

 舒明天皇の死後、宝皇女は、皇極天皇として即位しているのだ。
 推古天皇に次ぐ、歴史上、二人目の女帝だ。一度、退位し、その後、斉明天皇として再び即位している。二度目の即位は「重祚(ちょうそ)」という。
 瑞希は、それもカッコ付きで、コピー用紙に書き記した。

 日本史年表で確認しなくても、年代も名前も、意外にしっかり覚えている。日本史の闇を照らす懐中電灯は、いつのまにか、ワット数の低い蛍光灯くらいにはなっている気がする。

 瑞希のペンはするすると走り、やがて、聖徳太子の死から23年後に起こった、日本古代史上、もっとも有名な事件に行きついた。

 奈良英明学院大文学部史学科教授、嶋野肇殺害事件に行きついた。

 高向王が聖徳太子だったから、嶋野肇は殺された。
 たぶん、間違いなく。
 嶋野にもそれが解かっていた。
 自分はいつか殺されると、嶋野は知っていたのだ。
 だから「聖徳太子は祟る」と言った。
 死の間際に「これが答だ」と言った。
 
 瑞希は、呆然と、自分の書いた年表を見つめた。
 嶋野の言った「答」とは、これなのだ。
 ペンを持つ手が震えていた。

 しばらくして、瑞希は、大きくため息をついた。
 解かったからといって、どうということもないのだ。
 これがドラマや映画なら、事件を解明した主人公は、犯人を呼び出し、自分の知恵を披露して、ついでに追いつめる。
 本格派の推理小説なら、登場人物全員を大広間に集めて「さてみなさん」と切り出す。

 しかし、現実はドラマや映画や小説ではない。
 瑞希も探偵ではない。主人公でもない。
 主人公は他にいる。
 だから、瑞希には見せ場などいらない。地味だが、一番堅実な方法を取ればいい。
 警察に行って、犯人の名前を告げ、逮捕してもらうのだ。
 しかし、それはできない。やるにやぶさかではないが、やったところで誰も信じないだろう。

 犯行の動機が解ったのでもない。手口が解ったのでもない。だが、犯人は解かった。なぜなら、聖徳太子が高向王だから。

 そんな話をまともに聞いてくれる人などいるはずない。
 変人扱いされるか、消しゴムの渡貫あたりが「アホか」とせせら笑うくらいが関の山だ。

 瑞希は机の前を離れ、エアコンの下にうずくまった。
 どちらかといえば冷たいような気もする風が、頬や肩口を遠慮がちに撫でる。奥ゆかしいクーラーなんて、ろくなもんじゃない。

 動機はなんだろう、と考える。
 嶋野肇はなぜ、殺されなければならなかったのだろう。
                            つづく

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