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小説 「聖を殺した」 8

「話が見えないわ。分かるように言ってよ」

 意識して少し煽ってみた。雅紀は見るからに単純そうだ。うまく話しに乗ってくるかもしれないと思ったが、そうはいかなかった。
 薄笑いを浮かべ、雅紀は首をすくめた。

「鈍いね、あんた。ま、いいや。兄貴は大学でも文学なんか学んで、小説家になりたがってたような奴なんだ。今だって、理事長が演説するときの原稿なんか作ってる。そういうのだけはうまいよ。文字だけで人をその気にさせてしまう。ペテン師なんだ。経営者の器じゃない」

 根底には奈良瑛明の後継者争いがあるようだが、それにしても、兄弟仲はそうとう悪いらしい。しかし、それだと分からなくなる。

「どうしてあんた、お兄さんのメールを読むことができたの? あんたたち兄弟、パソコンは共有してるの?」
「まさか。今時、そんな奴はいないだろ。兄貴はああ見えて、メカとか電気とか丸っきりダメなんだ。だから、兄貴のパソコンもスマホも、使えるように設定したのは僕。その時に、ついでに、僕のスマホともシンクロさせておいたんだ。ずいぶん前のことだけどね。兄貴は初期設定からIDもパスワードも変えてないから」
「盗み読みしてたのね」
「そう。でも期待しても無駄だよ。あんたのメールは、すぐに消しといたから、兄貴はここには来ない」

 身体から力が抜けた。ひと気のない山の中に、単純でガタイのいい男とふたりきり。絶体絶命のピンチかもしれない。

「雑談はこれくらいにして本題に入ろうか」
 
 雅紀は目を輝かせた。この状況を心から楽しんでいるのだ。

「あんたの思うところってなんだい。叔父はあんたに何を言ったんだよ」
「聖徳太子は祟るっていったの」
「・・・なんだい、それ。・・・分かるように言えよ」

 意味不明な言葉で煙に巻いたつもりだったが、雅紀は目が、うろたえたように泳いだ。
 瑞希はまばたきをした。
 雅紀も知っているのだ、聖徳太子の祟りの意味を。

「嶋野教授は自分が殺されることを分っていたのよ。だから当然、犯人の名前も知っていたんだわ」
「言ったのか? 叔父はあんたにその名前を」
「いいえ。でも考えたら解ったわ」
「誰?」
「お宅」
「・・・そう?」
「なんで殺したの? 叔父さんなのに」
「なんでって・・・」

 雅紀は不意に、視線を宙にさまよわせた。放心したような顔だ。面食らっているようにさえ見える。

「そんなに意外な質問だった?」と、瑞希は思わず問いかけた。

「別に」
 雅紀はつぶやき、考え込むように、首を傾げた。考えている? 何故、考える必要があるのだろう。自分の動機なのに。
 やがて雅紀は思い出したように口を開いた。

「叔父は、ママの王国のシミなんだ」
「ママ?」

 いい歳をした男の口から、ママ、なんて言葉を聞くとは思わなかった。しかもこういう局面で。

「王国って何よ」
「奈良瑛明大と付属高校、中学小学校、幼稚園、全部だよ。あれは、ママが30年以上かけて創った、ママの王国なんだ」
「嶋野教授は学校経営なんて、興味もなさそうだったけど」

 ふと、そう見えただけかもしれない、と思った。嶋野とは短時間、話をしただけだ。確かなことは、実は何も知らないのだ。

「嶋野教授は、ママの王国を横取りしようとしてたの?」
「叔父はママの下僕だから、そんな真似はしない」

 下僕? 話がまた見えなくなった。

「そういう問題じゃないんだ。叔父は、ただもう邪魔だった。兄貴の親父のゴーストなんか、邪魔に決まってるだろう」
「紘一さんのお父さんって?」
「しらばっくれるなよ。あんたも噂くらい聞いてるだろ? 兄貴と僕や瑤子は父親が違うってこと」

 瑞希は小さくうなずいた。
 奈良瑛明の懇親会の日、瑤子の婚約者でさえ、壇上にいたのに、紘一は招待客に交じり、上がらなくていいのか、という瑞希の問いかけに「僕はいいんです」と呟いていた。子供たちの父親が違うというのは、北見家では公然の秘密のようだ。

「ゴーストというのは何?」
「ホント、鈍いな、あんた。叔父は口を開けば、先々代の教育理念はどうとか、そういう話ばっかりするから、ゴーストなんだよ。今さら、そんなカビの生えたような理念持ち出したって、学生は寄ってこないじゃないか。しかも、最近になって、奈良瑛明の後継者は兄貴だって言い出したんだ」

 やはり後継者問題のようだ。しかしと、瑞希は首を傾げた。後継者争いの果ての殺人なら、紘一を殺害するのが自然ではないか。

「なんで嶋野教授を殺害したの。後継者争いなら教授は関係ないでしょう」
「馬鹿にするなよ。後継者争いは関係ない。奈良瑛明は、ママの王国だっていっただろう。ママのやり方で、これから先もやっていくんだ。後継者なんかいらない。ママだって、そう思っているさ。ママが叔父に向かって、紘一は絶対に後継者にはしないっていってるのを、僕ははっきり聞いたんだ」
 
 紘一を後継者にしたいという嶋野に腹を立てながらも、雅紀は自分が後継者になろうと思っているわけではない。
 百合絵が紘一を後継者に、と決めたら、素直に受け入れそうだ。
 マザコンというくくりでいいのだろうか。

「嶋野教授は、ママにとって、邪魔だったのね」
「だから、さっきからそう言ってるだろう。ママはだから、叔父の代わりに県知事の河田を、経営のブレーンに加えた。河田のバカ息子は瑤子と結婚する。そのうち選挙に出て、国会議員だ。叔父の出る幕なんかもうないんだ」
「ママがそう言ったのね? 嶋野教授はもう瑛明に必要ないって」
「いや。だけど、解ったんだよ、僕には。叔父は消さなきゃいけない。僕がやらなきゃいけないと・・・」

 不意に雅紀は言いよどんだ。口調が頼りない。どこからか借りてきた言葉のようだ。
 子供なのだと瑞希は思った。雅紀は単純で考え足らずなただの子供だ。でなければ、マリオネットの人形だ。だれがこの人を操っているのだろう。

「どうやって嶋野教授のグラスにだけ、青酸カリを入れたの?」
「手先が器用なんだ、僕は」

 自慢している風ではない。ぜんそくの持病があるんだ、とでもいうような口調だ。

「電気とメカに強くて、器用なのね」
「聖徳太子の祟りってなんだよ」

 不意に、小声で雅紀が訊いた。 
 瑞希は何かに弾かれたように、雅紀を見つめた。
 知らないの? という言葉をあやうく飲み込む。何かがおかしい。歯車がかみ合っていないのだ。瑞希は雅紀の表情に眼を凝らした。
 雅紀は頼りなげに一点を見つめたまま、口を開いた。

「ママは時々、おかしいんだよ。気がふれたみたいになるんだ。さしたら、嶋野の叔父が、あなたが悪いんじゃない。これは聖徳太子の祟りだと、そういって、ママをなだめるんだ。なあ、なんのことだよ。聖徳太子の祟りって。あんた、知ってるんだろう? 教えろよ」

 ものに憑かれたような顔で詰め寄ってくる。
 瑞希はとっさに首を振った。

「知らないわ。そんなこと、私がしるわけないじゃない」

 上目遣いに、雅紀は瑞希を睨んだ。瑞希は眼を逸らした。
 嶋野の言う「太子の祟り」の意味は知らず、雅紀は、百合絵と嶋野の会話の異常性が気になっているだけなのだ。
 それでは石丸と変わらない。
 瑞希は顔をあげ、雅紀を見つめた。話題を逸らすことした。

「ところで、ねえ。私をどうするつもり?」
「・・・殺すしか、ないよね」

 思わず笑えた。ちっとも現実感がない。怖くもない。雅紀も微笑している。いい笑顔だ。いたずらを見つかった子供みたいだ。

「死体の処理って、けっこう面倒らしいわよ」

 止めてみない? と小声で言い足して様子を伺う。
 雅紀は今度は大きく破顔した。

「ちょっとこっちに来てよ」

 雅紀は、瑞希の腕を掴んで乱暴に立ち上がらせ、引きずるようにして窓に近づいた。無邪気と言いたいような笑顔を見せながら、無言で窓の下を指さす。
 山荘は山の傾斜に面して建っているから、窓外には白いガーデンテーブルセットが置かれた庭があるだけで、その向こうは、うっそうと樹木の生い茂る斜面だ。深い森の底に小さな沢が流れているのが、見え隠れしていた。
 雅紀は森の方を指さした。

「子供の頃、兄妹三人で、そこの庭の端から下に向かって、いろんな物を投げて遊んだんだ。使わなくなった玩具とか、おいしくないおやつとか。父のゴルフボールなんかも投げたな。単純な遊びだけど、子共にはけっこう面白かった。ある時、瑤子が腕のもげた人形に腹を立てて、思いっきり下に放り投げたことがあるんだ。ところが瑤子のやつ、後で後悔してさ。キャシーに会いたいって大泣きし始めた」
「キャシー?」
「瑤子の人形の名前だよ。仕方ないから、兄貴とふたりでキャシーを探しに下に降りたんだ。だけど、ふたりして一生懸命探しても、とうとう見つからなかった」

 どうなったんだろうな、キャシー、と独り言みたいにつぶやく。
 すぐ目の前に、死体くらい楽に隠せる樹海があるのだ、この屋敷は。
 瑞希はゆっくりと息を吐いた。

「キャシーはいいとしても、自分が殺した相手が、庭のすぐそばに転がってるなんてね。ちょっと笑えないわよ」

 強気を装っても、顔がもう懇願モードだ。
 だよね、と雅紀は悠然と笑った。でもさ、と続ける。

「下に沢があるだろう。あの沢、大雨が降るとよく鉄砲水が起きるんだ。一度見たことがあるんだけど、泥と水が一緒になって、ものすごい勢いで流れていく。ここの鉄砲水の特徴はね。川に行きつかずに、山の中で、地下に潜ることらしいよ。キャシーはきっと、地下のどこかで土に埋もれてるよ」

                            つづく

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