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【短編小説】ピーマンの肉詰め

「今年の6月に我が社は移転することになります」
 こう告げられたのは年明け早々の全社員会議の冒頭でだった。
 移転先は恵比寿。駅を出てすぐの地下2階地上20階建のいわゆる都心の大型デザイナーズオフィスビルだという。そのビルのワンフロアを借りることになったらしい。
 今あるオフィスは幸いにも自宅から歩いていける距離にあり、それはそれで混んだ電車に乗る必要もなく、わりと瀟洒な住宅街を抜けていくので、家々の手入れの行き届いた庭先を眺めながら、ささやかながらも四季を感じることができ、毎日お散歩気分で徒歩通勤をしていた。
 それが電車通勤となるとデメリットも多いが、大都会のモダンなビルでのお仕事。仕事帰りにちょっとショッピングしたり、大型書店に立ち寄り、なんとなく面白そうな本はないか探したり、その足でカフェに寄ってコーヒーを飲みながら読書する、なんていうこともこれからは可能だ。これはテンションが上がるというものだ。急な話に戸惑いながらも私は内心ワクワクしていた。

 駅から伸びる一本道。15分ほど歩くと唐突に現れる100円ロッカー。
 ゴーヤ、ミニトマト、オクラ、ナス、ピーマン、枝豆。
 そうか、もう7月も中旬だ。そのロッカーの透明なアクリルの小窓からは夏野菜が小さなポリ袋入れられ、詰め込まれているのが見える。
 家の近所の大型スーパーにも、いわゆるゴールデンラインと言われる一番お客の目に届きやすい高さに、赤、緑、黄色と美味しそうに夏野菜が並べられている。
 スーパーでは特に意識することもなく、当たり前のように整然と並べられた季節ごとに入れ替わる野菜を手に取っていたが、ここでは季節感を感じずにはいられない。
 秋になれば5、6個ずつ袋詰めされた栗が登場するし、冬になれば小ぶりの大根が丸ごと1本、ミニ白菜が丸ごと1個入っている。

 私は無造作に付箋大に切られた白い紙に黒マジックペンでやや右肩上がりに「ピーマン」と書かれた棚を選んで100円玉を入れた。
 硬貨が落ちると同時にすぐ横のねずみ色のツマミを左にカチャリと回してドアを開けた。

 今夜はピーマンの肉詰めでも作るか。

 小ぶりのピーマンが12個も入った袋を開ける。プリっと張りのあるピカピカのピーマンをまな板の上に乗せて、まずは半分にザクッと包丁を入れる。青々とした夏の匂いが飛び散ったタネと一緒に鼻腔にダイレクトに届く。
 半分に切ったピーマンを次々と水で流しながら、へばりついているタネと白い筋とヘタを指で取り除いていく。
 次にパックから牛豚の合いびき肉を適当な分量、手でつかみ、100円ショップで買ったボウルに無造作に入れる。脂でぬるついた手を水道水でサッと洗い流し、ほのかにピンク色をした岩塩と胡椒をガリガリと回し入れ、某ファミリーレストランで買った、これを入れると肉料理が格段にプロっぽくなると評判の魔法のスパイスもティースプーンで1/3くらいすくってふりかけた。手が脂でヌルヌルするのが嫌で毎回ちょっとだけ躊躇してしまうのだが、意を決して素手でこね始める。

 そうそう忘れるところだった。
 コーレーグースーもほんのちょっとだけ振り入れる。
 泡盛の匂いがほわほわっと漂う。
 ああ、いい匂い。
 泡盛の匂いは好きだ。

 そして適度にこねた肉を半分に切ったピーマンに次々と詰めていく。
 はじめは4個分のピーマン、実際は半分に切っているので8個のピーマンに肉を詰めたが、まだ少し肉が余ってしまったので、もう1個急いで半分に切って残りの肉を詰めた。
 合計10個の肉詰めピーマンをまな板に並べ、上から小麦粉をささっとまんべんなく振りかけた。
 フライパンにオリーブオイルをたらし、包丁の背で潰しておいたニンニク1カケの更に半分を投入し、カチカチッと音をたててガスのスイッチを入れる。
 オリーブオイルに特にこだわりがあるわけではないが、サラダ油や菜種油といろいろと買うのが面倒でオリーブオイル1本でなんでも済ませている。

 最近はビルトインのIHクッキングヒーターが主流になりつつあるようだが、やっぱり料理は直火でしょ、と私はまったく電気を信用していなかったので、この部屋を借りるときにもガスコンロが使えることが条件の1つだった。
 青白い炎が上がると中火よりちょっと細くしてしばらく待つ。やがてニンニクのまわりにフツフツと小さな泡が立ち始める。そうなると一気に食欲を刺激してお腹が空いてきた。
 にんにくは少しずつ、きつね色に変わっていく。ここでグズグズしているとあっという間に焦げてしまうので、急いで菜箸でつまんでアルミホイルの上に乗っけた。
 なぜアルミホイルかというとこのまま包んで捨ててしまえば匂いがまったく残らないからだ。いつまでもニンニク臭のする部屋ほど嫌なものはない。
 一旦火を止め、肉詰めした側を下にしてピーマンを並べる。再び火をつけ、フタをして弱火でじっくり焼き始める。
 7〜8分経っただろうか、フタを開けて今度はフライ返しと菜箸を使ってピーマンを慎重に引っくりかえす。肉はピーマンから外れることなく、軽く焦げ目もついてなかなかの出来だった。ピーマンの背にほんの少し焦げ目がつく程度にもう2分ほど焼いた。

 皿に盛ったピーマンの肉詰めはテラテラと輝いていた。
 箸で慎重につかむとむにゅっと歪み、中の肉がこぼれそうになった。
 せっかく崩れることなく焼けたのだ。ここで肉が外れてしまったら台無しだ。
 私は誰にはばかることもなく、大口を開けて一気に丸々1個を放り込んだ。
 ううっ、熱い。
 肉汁がジュワッと口の中いっぱいに飛び出し、火傷しそうになる。
 その直後ピーマンの青臭い苦味が一気に広がった。私はその苦味を思いっきり噛み締めた。そして残りのピーマンの肉詰めも次から次へと口の中に放り込み、咀嚼し、すべて飲みこんだ。

「君たちの部署は、恵比寿ではなく、子会社がある事務所の一角を間借りすることになったから。」

 あれから1年が経とうとしている。いまだにあの言葉を聞いたときの失望と絶望感は少しも消えていない。
 都会のど真ん中ではなく、電車で1時間半、駅から歩いて20分の、周囲を畑と倉庫街に囲まれたプレハブ事務所で働いている現実も一緒に噛み砕いた。
 缶ビールのプルトップをプシュッと開ける。
 あのときの非情な宣告もビールと一緒に飲み下してやった。苦い思いを苦いビールで打ち消すように。

 とりあえず、明日もがんばろう。
 いや、がんばるしかないだろう。
 そう思いながら残りのビールを一気に飲み干した。

(この小説はポメラで書いています)

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