本当に世の中は便利になっているのでしょうか、疑わしいと思った話。
コードレス掃除機のカップに溜まったゴミを捨てようと思った。
カップを外して中に溜まってゴミを捨てればいい、ってもんじゃない。
フィルターの蛇腹になってる溝に溜まっているゴミを付属の小さなブラシで擦って掃き出さなければならない。そこにはナゾの白い粉ようなものががいっぱい詰まってる。床に白い粉なんてぶちまけていないのに、この白いナゾの粉はいったい何なんだろか?
ホコリの一種か?
そしてパッキンにへばりついたホコリを濡れたペーパータオルで拭き取る。これら一連の作業は部屋の中でやると結局ホコリを撒き散らすことになるのでベランダに出てやらなければならない。そしてプラスチックのカップも水洗いする。
一見すると便利なコードレス掃除機。
実は後始末が大変なのだ。
掃除機をかけるより遥かに後始末に時間がかかる。
これが昔ながらの箒と塵取りだったら?
ササっと掃いて塵取りでとってゴミ袋に入れるだけで済むのである。
実は私はその昔雑貨店で売られていたフィリピンかどこかで作られた柄の長さが20センチくらいの小さめの箒と柿渋を塗った紙製の「はりみ」という名の塵取りを買って使っているのだ。
気づけば20年以上愛用している。
箒はどんどん「ほうき草」が抜けてスカスカになってきたので、最近、道の駅でほうき職人が作った箒を買った。古いフィリピン製の箒もほうき草が柔らかく使いやすいので捨てずに併用している。なのでちょっとした掃き掃除は腰を折りながら昔ながらの箒と塵取りで行い、たまに掃除機をかけている。
そしてこれもずいぶん昔、もしかしたら30年くらい前にショッピングセンターの中の雑貨店で目にしたご飯炊き用の土鍋(たぶん3合炊き用)をなんの気なしに購入した。
そしてあるとき炊飯器が逝ってしまったのを機に使い始めた。こちらもかれこれ20年以上愛用している。
別に意識高い系でもなく、丁寧な暮らしを実践する、でもなく、壊れてすぐにでも炊飯器を買い換えようと思ったけど、案外お値段が張るんだなと思い、買ってあった土鍋を引っ張り出して使い始めただけなのだ。
土鍋で炊くご飯は格別〜、かどうかはわからないが、とりあえずずっと使っている。
土鍋の蓋は吹きこぼれ防止なのか二重になっているが上蓋を落として割ってしまった。だけどなんの支障もないのでそのまま使い続けている。
あるとき友人の家で夕食をご馳走になったのだが、お米を研いで炊飯器にセットし炊き上がるのに1時間近くかかった。もうびっくり。
土鍋だったらせいぜい20分程度だ。
なんでそんなに時間かかるのよ、って思う。
最近、レストランやカフェで注文するのにスマホを使って注文する店が増えてきた。
人手不足解消のためだろうか。
あれもわりと面倒だ。
紙のメニューだったら少なくとも見開きで10品くらいは同時に見ることができるが、スマホのメニューだと1個1個見てスクロールしていかないといけない。サラダはこっちをタップして、ドリンクはこっちをタップして、と。
私はiPhone SE3を使っているので画面が小さい。ちまちまスクロールしなくちゃいけない。
ああ、面倒くさい。
なんだかなあ。
世の中どんどん便利になっていく、ってホントかなあ。私はかなり疑わしいと思っている。